広島公共職業安定所千田町庁舎跡碑

  中区千田町の‘ちびっこひろば’に建立されている「広島公共職業安定所千田町庁舎跡碑」です。
※1934(昭和9)年10月この地千田町3丁目に「広島市中央職業紹介所」として新庁舎が完成し、
                                   業務を開始したその跡地である事を示す石碑です。
      沿革  (碑文)
第一次世界大戦後の世界的不況がわが国にも波及し失業問題が大きな社会的問題となる中で、全国9箇所の公設職業紹介所が設置された。
広島市においては1920(大正9)年9月広島県社会協会が大須賀町に東松原職業紹介所を創設、同(1920)年12月同協会が広瀬町に中央職業紹介所を設立した。これが広島市における公設職業紹介所の始まりになった。
その後1927(昭和2)年4月広島市に移管され広島市中央職業紹介所となった。
1934(昭和9)年10月当地千田町3丁目に念願の新庁舎が完成し移転、業務を開始した。
1938(昭和13)年7月厚生省所管となり広島職業紹介所として業務が引継がれ、
1941(昭和16)年2月広島国民職業指導所、
1944(昭和19)年3月広島国民勤労動員署と改称、第二次世界大戦下のもと業務を進めていたが
1945(昭和20)年8月6日世界最初の原子爆弾で関係職員の尊い命が失われた。
これらの殉職者の鎮魂の願いをこめ、50回忌の記念事業として1995(平成7)年11月広島県職業安定行政関係者により広島市中区国泰寺町1丁目に慰霊碑が建立されている。

戦後1945(昭和20)年10月広島勤労署と改称され、
さらに1947(昭和22)年4月広島公共職業安定所となり同(1947)年9月1日新たに労働省が設置され労働省所管として新しい時代を迎え戦後の経済混乱のなか雇用失業対策に大きな役割を果たしてきた。
その後戦後経済の復興期に入り千田町庁舎は原爆による大きな被害を被っているとともに狭隘であり業務の効率化を図るため新庁舎の建設が計画され多くの関係者の努力により
1951(昭和26)年8月広島市中区基町に新庁舎が完成し千田町庁舎の永い歴史を閉じた。
しかし千田町庁舎は戦前戦後の激動の時代を広島地地域の雇用失業対策の拠点として大きな役割を果たしてきた。
1997(平成9)年3月20日 広島公共職業安定所関係者有志
2002年に国泰寺町で「広島県職業安定行政原爆被爆殉職者鎮魂碑」を訪ね、撮影して頁を編集していました。
しかし、わたしは“職業安定所関連の歴史”は知らなかったのです。
この碑の根際に建立の「類焼を免れた喜びを伝えて」記念碑を撮影に来た2005年、根際に建立のこの「広島公共職業安定所千田町庁舎跡」碑の碑文で僅かですが知ることができ、この頁を編集しました。
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.07.06.再編集     06.03.02裕編集

05.10.10.撮影
広島市中区千田町3−10  ちびっこひろば

05.10.10.撮影
「類焼を免れた喜びを伝えて」記念碑と広島公共職業安定所千田町庁舎跡・碑

05.12.17.撮影
(正面)碑文

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影
(碑裏面)



「その他」編



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(千田町)ちびっこひろば
 「類焼を免れた喜びを伝えて」記念碑
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広島県職業安定行政鎮魂碑





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