(岩瀧神社境内)忠魂碑

  安芸区船越の岩瀧神社に建立されている「(船越町)忠魂碑」です。
明治以来幾多の征戦国難に殉じた士の忠魂を彰す。
国際連盟を脱退する我が帝国は国歩益々多難であるが其の秋に忠魂碑建設の議が熟し建設期成同盟会の設立を見るに至る、(船越)全町あげて労力奉仕をなし、岩瀧山中より石材を運んだ。
昭和■年※十二月吉日竣工、海田湾を俯瞰し厳然として天空に聳え永く護国の英霊を祀る。
    ※(■=八?)、1933(昭和8)年3月日本は国際連盟を脱退しています。
      1928(昭和3)年11月1日船越村が町制施行して安芸郡船越町となりました。
岩瀧神社参道横に建立されています。カナ交りの碑文ですが、刻まれた文字が不鮮明になっているところ、わたしが読めないところなどが多くありますが、『船越町民で(戦役で)亡くなった方々を弔慰して全町挙げてこの忠魂碑を建立した』ということが判りました。
しかし肝心な建立年の部分が薄くなっているのです。八と見えるのですが正確にはわかりませんでした。国際連盟脱退昭和8(1933)年からもその年の12月だとわたしは推測したのですが。
08.08.23裕・記編集

08.06.18.撮影
広島市安芸区船越4丁目13−1 岩瀧神社参道

08.06.18.撮影

08.06.18.撮影
忠魂碑     陸軍大将林銑十郎書

08.06.18.撮影
碑文(上記) 浮標水雷缶※
昭和8年12月7日廃兵器として海軍省より呉市長へ無償譲渡されました。
      千葉県のK氏に教えていただきました。
22.01.04.追記

08.06.18.撮影
(はやしせんじゅうろう)
林銑十郎:
(1876-1943)
陸軍軍人。石川県生まれ。1932(昭和7)年陸軍大将任官。
陸大校長・近衛師団長・朝鮮軍司令官・教育総監などを経て、斎藤・岡田内閣の陸相。1937(昭和12)年2月組閣、選挙に破れ四か月で総辞職した。



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