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安芸区船越4丁目の岩瀧神社参道根際に建立されている「檜山袖四郎像」です。
※像の作者は、圓綱勝三です。 |
元広島大学井上政雄教授の碑文を読めば『資性剛毅闊達情誼篤厚、特に愛郷の念深く識見旺盛、実行力をもって郷土広島県の復興発展地方自治の確立、県民の福祉の向上に献身され、勲二等瑞宝章を受章されたほどであった』とあり広島県議会議員として郷土を愛した人物であったこと間違いないところでしょう。
反面「桧山土木県政」との批判も受けていたことを忘れてはなりません。 |
桧山袖四郎略歴
1899 |
明治32年1月 |
安芸郡船越村に、檜山組・初代袖四郎の三男として生まれる |
1947 |
昭和22年4月 |
広島県会議員に当選爾来連続8期 |
1951 |
昭和26年5月 |
〜1955(昭和30)年6月。
1963(昭和38)年〜1971(昭和46)年広島県議会議長 |
1979 |
昭和54年6月29日 |
死去 |
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岩瀧神社参道に入り大きな忠魂碑が目に入ったのですが、その反対側にこの銅像が建立されていました、どなたの胸像かなと近づきみると、桧山袖四郎とありました、後ろに回ると、圓鍔勝三の特色あるサインが刻まれていました。ここにも圓鍔作品があったのかと思い撮影しました。わたしが知る圓鍔作品が市内で23作品となりました。 |
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