バナナの叩き売り発祥の地
  北九州市門司区港町の旅館・群芳閣前に建立されている「バナナの叩き売り発祥の地・碑」です。
1908(明治41)年以降日本にバナナが大量輸入されるようになり門司港が地理的条件からバナナの荷場の一大拠点となり、バナナは門司を代表する果物となりました。
バナナは通常青い状態で輸入され、問屋が室で熟成させて出荷するそうですが、輸送途中で蒸れたものや傷んだものは市場に出さず露天商等の手により売りさばかれていました。
この時口上よく名調子で客を集めてバナナを安売りしたのがバナナの叩き売り。最盛期には50人近い売り手が軒を並べバナナを売っていたそうです。
現在、桟橋通りに「バナナの叩き売り発祥の地碑」を建て名残を残しています。 海峡プラザ横では、観光用に叩き売りをやっていました。
以前編集していた頁を見直していた今(2010年)回バナナの叩売り由来記の碑文、バナナの叩き売り口上を(撮影してはいましたが)どういう碑文で、どういう口上であったのかと写した画像を大きくして読んでみました、そうだったのかと思うばかりで、遅きに失した感は免れませんが、追記しました。
10.04.23更新   03.05.04裕・編集

03.04.26撮影
福岡県北九州市門司区港町1-7  (旅館・群芳閣前)
バナナの叩き売り発祥由来の記
昔しを偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基幹と、九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した、ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一こまとして、アセチレンの灯のにぶい光の下で、黄色くうれたバナナを戸板にならべ、 だれとはなしに産まれ伝わる名セリフは大正初期〜昭和13・4(1938・1939)年頃まで不夜城を呈し、日本国中の旅行者の、目を楽しませた。バナナの叩き売りの風情は門司港のこの地桟橋通り附近を発祥の地と由来せし
                  昭和53(1978)年4月 日   門司港発展期成会 北九州市観光協会

03.04.26撮影
バナナの叩き売り・口上

03.04.26撮影
 福岡県北九州市門司区港町4 (海峡プラザ)観光用の叩き売りをやっていました
台湾の
 日本統治時代
1895(明治28)年4月17日〜
        1945(昭和20)年10月25日
日本は1945年8月15日無条件降伏・敗戦
ありさん
阿里山
台湾嘉義県にある山
とうまるかご
唐丸籠
唐丸(鶏の一品種)を飼う円筒形の竹製の籠
きーるんこう
基隆港
台湾北部の天然の良港
だて まさむ
伊達政宗
(1567-1636) 安土桃山江戸初期の武将。仙台藩祖。

















































































































































































































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