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中区銀山町に(現在も)設置されている「木製電柱」です。 |
電柱はもともと木製であったものが、昭和初期ごろから耐久性や耐火性に優れたコンクリート製の電柱が製造されはじめ現在ではこれが主流となっていますよね。
(鉄製のものもありますが、電話柱としての使用が主かなと) |
2010年1月交流ウォークの時南区・向洋、堀越で木製電柱を撮影して頁に編集し、広島ぶらり散歩「建物」編に加えましたが、2箇所の紹介ではチトさびしいな〜と思っていたのです。
今(2011年)回撮影した中区いわゆる広島の繁華街に残る木製電柱は、わたしの兄が先にみつけ紹介していたものを、わたしがいまになって撮影し頁にしたものです。 |
撮影する前なぜ、繁華街にいまだ木製電柱が残っているのかと思ったのです。
撮影しながら、繁華街故でしょうか、電柱の電線の数の多さや、電話線や、有線の配線などなど、またトランス(変圧器)が複数取付られたりしていました。これをいまコンクリート製電柱に取替えるとすると、その作業の大変さや停電作業が必要で、周りの多くのお店の営業に問題が出たりするのだろうな〜と思いました。つまり、電柱の切替え時が難しく、木製電柱の劣化などによる強度上の不都合がなければ木製電柱そのままにしておく方が、いいとの判断かなと、考えたのですが。 |
この中区・銀山町2にある木製電柱を探していたときこの近くの広島セントラルホテルの空充秋作品を見に来た時のことを思い出しました、その時がこの辺りを(わたしが)はじめてぶらり散歩した時(2007年)だったからです。この辺りは繁華街の銀山町といっても東のはずれで、東に行くとすぐに京橋川河畔の緑地帯に出ます。この道も2度や3度ではなく歩いていたのにはじめて木製電柱があることを知りました。ここでも兄貴のまち歩きでの観察力というものに(わたしは)脱帽でした。今回の木製電柱の巡りのぶらり散歩はこれで終わりです。 |
11.05.13裕・記編集 |