(饒津神社に建立の)淺野長勲公頌徳碑

  東区二葉の里の饒津神社に建立されている「淺野長勲公頌徳碑」です。
浅野長勲 (あさのながこと:1842-1937)
初名は長興、茂勲。伯父の浅野長訓の養子となり、安政5年安芸広島藩支藩の新田藩主浅野六代を継ぐ、近江守を称す。
1862(文久2)年宗家の嗣子となり紀伊守。1863(文久3)年茂勲と改名。元治元年左近衛権少将。1867(慶応3)年議定職。1868(慶応4)年会計事務総督、長勲と改名。1869(明治2)年1月本藩を継ぎ、安芸広島藩主浅野家十二代となる、2月参与、安芸守、3月参与を免じ議定、5月議定を免じ麝香間祗候、6月広島藩知事。1871(明治4)年7月広島藩知事を免じられる。1889(明治22)年勲一等。1896(明治29)年従一位。1937(昭和12)年2月1日広島において卒。この間将軍徳川慶喜に大政奉還をすすめるなど、国事に奔走。維新後はイタリア公使、貴族院議員などをつとめた。
以前牛田に住んでいましたので初詣でお参りに来たときにこの浅野長勲公頌徳碑が建立されていることは知っていました。2006年1月に交流ウォークのときに碑裏の碑文を見れば廣島縣知事相川勝六とあったので撮影したのです。ちょうど歴代広島市長、歴代広島県知事に興味を持ったときでしたから・・・
       06.05.19裕・記編集

06.01.21.撮影
   広島市東区二葉の里2‐6‐34饒津神社社殿横

06.01.21.撮影
淺野長勲公頌徳碑     公爵一條實孝書

06.01.21.撮影























































































































































使





















































1940(昭和十五)年は神武天皇即位紀元2600年



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二葉山山麓七福神恵比須天





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