|
東区二葉の里の饒津神社に建立されている「明治三十三年北清事變忠死者紀念之碑」です。 |
義和団の乱は、清朝末期の動乱で、
明治22(1889)年より明治23(1890)年に列強の進出に抗した中国民衆の外国人排斥運動(義和団事件)に対し日・英・米・露・独・仏・伊・墺の8ヵ国は連合軍を組織してこれを鎮定(日本では北清事変と呼称)。
広島市に拠点を置く歩兵第十一連隊はその一翼を担い出兵。
238名の戦死者を刻字し、慰霊・追悼し、顕彰した。 |
以前牛田に住んでいましたので道路から見えるこの碑が建立されていることは知っていました。
それとなくみているだけで関心はありませんでしたが、1月の交流ウォークのときに撮影したのです。
明治三十三(1900)年北清事變忠死者記念之碑は六角形をした碑で六角形という形は珍しいものだとおもいます。歩兵第十一聨隊238名もの方々のお名前が刻まれており多くの戦死者を出したことがこの碑からもうかがえます。 |
2007年12月になって説明板が設置され、碑の上部にいままでなかった(戦時中供出されたのでしょう)鷹の像が設置されていることに気がついたのです。
創建当時の碑の姿に戻すことに対して、わたしは、日本の大陸侵略のきっかけにもなっていった日清戦争、そしてこの北清事変でも、多くの兵士の犠牲者を出したこと、中国民衆にも多くの犠牲者をだしたことから、2度と悲惨でしかない戦争をしてはならないとの教訓として、この碑の意味を考える存在であってほしいと思うのです。 |
08.03.31更新 06.06.08裕編集 |