(饒津神社)被爆の痕跡饒津神社復興記念・碑

  資料によると、標柱・手水鉢・灯篭や敷石などが被爆した構築物として紹介があります。
爆心地から1680m 〜1850m   被爆当時の町名も二葉の里
以前牛田に住んでいましたので初詣でお参りにいったときに横目で見るだけでした。
2006年1月の交流ウォークのときにはじめて、手水鉢、灯籠を撮影しました。年々原爆による惨禍の風化が云われてきていますが、このように境内に保存されていることは大切なことと改めて教えていただいたようにおもいました。
また、原爆の惨禍から復興していった記念碑が建立されていましたので合せてこの頁に紹介しました。
手水石に奉献された日付が刻まれていましたので撮影し、追加しました。
2017年1月12日朝、中國新聞の「被爆ちょうず鉢を補修」という記事に目が留まりました。
『浅野家入城400年記念事業の一つとして被爆の傷跡を残しつつ漏水防止工事を1月11日から1月15日まで愛知県の石材業者に依頼した。手水鉢の補修後木造屋根を造り、参拝者に利用してもらう予定。』などという記事でした

1月12日横の道路を通った時(午後でした)車の中から作業している人がみえましたので、記事にある漏水防止工事をしているのだな〜と思いました。撮影してはいませんが、追記しました。
17.01.14.更新     06.06.19裕・記編集

09.11.19.撮影
   広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社境内
原爆被災説明板、被爆した手水石、(戦後復興)向唐門

06.01.21.撮影

09.11.19.撮影

09.11.19.撮影
文化八(1811)年辛未四月七日奉獻の手水石  原爆によって欠け落ち亀裂が入った手水鉢
縦:121cm、横;2121cm、高さ:93cm。 花崗岩製 (中國新聞の記事で知りましたので追記)

06.01.21.撮影

06.01.21.撮影
被爆の傷跡をとどめる石燈籠
饒津神社復興記念・碑

06.06.01.撮影
「饒津神社復興記念」碑
  饒津神社は、天保6(1835)年当時の広島藩主浅野斉粛公が創建された。
昭和20(1945)年8月6日原子爆弾により神社建築物はすべて灰燼に帰しその後久しく仮社殿のままであった。
昭和57(1982)年広島市の道路計画にもとづいて神社境内地の一部を市に譲渡したのを機に新たに本殿、拝殿、中門、瑞垣、手水舎、社務所、職舎を復興し、本日竣工奉祝祭を斎行した。ここに当事業の完成を祝い記念碑を建てる。
昭和59(1984)年6月9日



被爆した建物・構築物」編


「牛田・二葉の里附近」編



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饒津神社(概説)
饒津神社・原爆被災説明板
(枯死した)被爆樹木・松
(境内に残る)原爆の傷跡復興記念碑
(再建された)向唐門
(再建された)両部大鳥居
(境内社)稲荷大明神
(境内建立の)浅野長勲公頌徳碑
(境内建立の)石水盤石燈籠銘・碑
(被爆した)御陣中御手水鉢
(境内建立の)坂井虎山先生之碑
(境内建立の)河野小石先生碑
(境内建立の)木原桑宅翁之碑
(境内建立の)北清事変忠死者紀念之碑
(境内建立の)臨時陸軍検疫部職員死者追悼之碑
(被爆した)標縄柱
(境内建立の)標縄柱銘并序・碑
(境内の)石垣について
(境内建立の)広島県職工学校開校の地・碑
(境内建立の)平成の御大典奉祝記念樹・碑
広島市保存樹73:クスノキ
広島市保存樹74:エノキ・ケヤキ
番外)饒津神社の絵馬
二葉山山麓七福神恵比須天





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