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東区二葉の里の饒津神社に残されている「被爆した手水鉢」「被爆した石燈籠」を取り上げました。
※戦後、昭和59(1984)年6月9日に建立された「饒津神社復興記念・碑」もこの頁で取り上げました。
※被爆したままだった手水鉢が2017年に補修され復活しました。別頁(下段にリンク先)で取り上げました。 |
資料によると、標柱・手水鉢・灯篭や敷石などが被爆した構築物として紹介があります。 |
爆心地から1680m 〜1850m 被爆当時の町名も二葉の里 |
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以前牛田に住んでいましたので初詣でお参りにいったときに横目で見るだけでした。
2006年1月の交流ウォークのときにはじめて、手水鉢、灯籠を撮影しました。年々原爆による惨禍の風化が云われてきていますが、このように境内に保存されていることは大切なことと改めて教えていただいたようにおもいました。
また、原爆の惨禍から復興していった記念碑が建立されていましたので合せてこの頁に紹介しました。 |
手水石に奉献された日付が刻まれていましたので撮影し、追加しました。 |
2017年1月12日朝、中國新聞の「被爆ちょうず鉢を補修」という記事に目が留まりました。
『浅野家入城400年記念事業の一つとして被爆の傷跡を残しつつ漏水防止工事を1月11日から1月15日まで愛知県の石材業者に依頼した。手水鉢の補修後木造屋根を造り、参拝者に利用してもらう予定。』などという記事でした。
1月12日横の道路を通った時(午後でした)車の中から作業している人がみえましたので、記事にある漏水防止工事をしているのだな〜と思いました。撮影してはいませんが、追記しました。 |
17.01.14.更新 06.06.19裕・記編集 |