(饒津神社に建立の)坂井虎山先生之碑

  東区二葉の里の饒津神社に建立されている「坂井虎山先生之碑」です。
阪井虎山、坂井虎山(さかい こざん:1798−1850)
江戸後期儒学者。広島(段原村)に生まれる。東派(儒学者・とうは)の子。諱は華。通称は百太郎。
東派、頼春水(儒学者・頼山陽の父 1746-1816)に学ぶ。1825(文政8)年江戸に遊学。史論・文章にたけ、家塾百千堂を興す。著書「杞憂策」「論語講義」等。
以前牛田に住んでいたので道路から、これらの碑裏側が見えるのですが、碑に近づいてみることもありませんでした。
被爆構築物の頁を編集しだしてから境内に建立の碑を少しづつ見ていたのです。オヤと思って足を止めたのです「虎山 坂井 先生 之碑」の文字をみたからです。
2006年に本照寺で「虎山 阪井 先生 之墓」を見ていたからです。阪井、坂井と読みは同じでも字が違うのですが名が虎山と同じだったからです。帰宅後調べると同じ人物だったのです。
理工系で漢文を勉強したことがないわたしには、碑文は難解であるのですが・・・見ると坂井と大きな字で刻まれていますが、碑文内には阪井と刻まれています。
通称が百太郎、諱(いみな)が華ということも分かりましたが、全文を解読するまではまだまだかかるのです。(2007年)根際の道路を通ったときに並んでいる碑の背しか見えないのですが、碑の回りが整備され説明版が付けられていましたので立ち寄り、坂井虎山のことが説明されていましたので、碑文自体の解読は後回しにして頁をまとめました。
       08.03.10裕・記編集
   関連頁:(本照寺)阪井虎山の墓

07.12.10.撮影
   広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社境内建立の碑の数々

07.05.28.撮影


坂井
先生之
こざん
さかい

















































































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07.05.28.撮影
   碑の周りが整備され説明版が付く前に撮影していた画像です。

07.05.28.撮影
碑前面碑文 碑裏面 明治十六(1883)年葵未三月故□□人建之



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


「牛田・二葉の里附近」編



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(枯死した)被爆樹木・松
(境内に残る)原爆の傷跡復興記念碑
(再建された)向唐門
(再建された)(再建された)両部大鳥居
(被爆した)手水鉢〔復活した手水舎〕
(境内社)稲荷大明神
(境内建立の)浅野長勲公頌徳碑
(境内建立の)石水盤石燈籠銘・碑
(境内建立の)坂井虎山先生之碑
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(境内建立の)臨時陸軍検疫部職員死者追悼之碑
(被爆した)標縄柱
(境内建立の)標縄柱銘并序・碑
(境内建立の)広島県職工学校開校の地・碑





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