(饒津神社に建立の)広島県職工学校開校の地・碑

  東区二葉の里の饒津神社に建立されている「広島県職工学校開校の地・碑」です。
「広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑」(原爆関連の慰霊碑)を訪ねて、南区出汐の碑の前で頭を垂れました。頁を編集するとき、広島県立広島工業学校の学校沿革を調べたのです。
その時、広島県職工学校として発足したことを知ったのですが、二葉の里が発祥の地であったことは、ここ饒津神社で開校の碑をみるまで知りませんでした。
現・広島県立広島工業高等学校の略沿革
1897 明治30年 広島県職工学校として開校
1901 明治34年 広島県立職工学校と改称
1911 明治44年 二葉の里から千田町(現・県立図書館の場所)へ移転
1916 大正5年 広島県立工業学校と改称
1923 大正12年 広島県立広島工業学校と改称
1945 昭和20年8月6日 原爆により267柱(県工教職員5柱、生徒209柱;市工教職員3柱、生徒50柱)
(※被爆当時市立工業高校が併設されていたそうです)
1948 昭和23年 広島県立広島工業学校を廃止、広島県広島工業高等学校を設置
1949 昭和24年 広島県の高等学校再編成により出汐にあった広島県広島有朋高等学校などとともに広島皆実高校に統合、同校工業課程となる。
1953 昭和28年 工業課程を分離し広島県広島工業高等学校として独立
1968 昭和43年 広島県立広島工業高等学校と改称
関連頁: 廣島縣立廣島工業学校被爆職員・生徒追悼碑 広島県立広島工業学校動員学徒原爆遭難の碑
(東区の)牛田に住んでいましたので、この饒津神社横を何度となく通っていましたが、初詣でお参りに行くときぐらいで、境内の中を見回したこともなかったのです。
饒津神社の頁を2002年に編集して以来少しづつではありますが境内をある意味うろついていて見つけたのがこの碑でした。建立年月日が刻まれていました、1997(平成9)年でしたから頁を編集する前から建っていたものでした。
       08.03.19裕・記編集

07.12.10.撮影
   広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社境内

07.12.10.撮影
広島県職工学校
(現・広島県広島工業高等学校)
開校の地

07.12.10.撮影
明治30(1897)年8月1日広島県令第40号
によりこの地に開校する。
平成9(1997)年11月15日
広島県立広島工業高等学校  
創立百周年記念実行委員会  
  同窓会長 熊野巧書 



「その他」編


「牛田・二葉の里附近」編



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(枯死した)被爆樹木・松
(境内に残る)原爆の傷跡復興記念碑
(被爆した)手水鉢〔復活した手水舎〕
(再建された)向唐門
(再建された)(再建された)両部大鳥居
(境内社)稲荷大明神
(境内建立の)浅野長勲公頌徳碑
(境内建立の)石水盤石燈籠銘・碑
(境内建立の)坂井虎山先生之碑
(境内建立の)河野小石先生碑
(境内建立の)木原桑宅翁之碑
(境内建立の)北清事変忠死者紀念之碑
(境内建立の)臨時陸軍検疫部職員死者追悼之碑
(被爆した)標縄柱
(境内建立の)標縄柱銘并序・碑
(境内建立の)広島県職工学校開校の地・碑





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