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| 「広島県立広島工業学校被爆職員・生徒追悼碑」(原爆関連の慰霊碑)を訪ねて、南区出汐に頭を垂れ頁を編集するとき、学校沿革を調べたのです。その時、広島県職工学校として発足したことを知ったのですが、二葉の里が発祥の地であったことは知りませんでした。 |
牛田に住んでいましたので、この饒津神社横を何度となく通っていましたが、初詣でお参りに行くときぐらいで、境内の中を見回したこともなかったのです。
饒津神社の頁を2002年に編集して以来少しづつではありますが境内をある意味うろついていて見つけたのがこの碑でした。建立年月日が刻まれていました、1997(平成9)年でしたから頁を編集する前から建っていたものでした。
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| 08.03.19裕・記編集 |
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07.12.10撮影 |
| 広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社境内 |
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07.12.10撮影 |
広島県職工学校
(現・広島県広島工業高等学校)
開校の地 |
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07.12.10撮影 |
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明治30(1897)年8月1日広島県令第40号
によりこの地に開校する。
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| 平成9(1997)年11月15日 |
広島県立広島工業高等学校
創立百周年記念実行委員会
同窓会長 熊野巧書 |
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| 1897 |
明治30年 |
広島県職工学校として開校 |
| 1901 |
明治34年 |
広島県立職工学校と改称 |
| 1911 |
明治44年 |
二葉の里から千田町(現・県立図書館の場所)へ移転 |
| 1916 |
大正5年 |
広島県立工業学校と改称 |
| 1923 |
大正12年 |
広島県立広島工業学校と改称 |
| 1945 |
昭和20年8月6日 |
原爆により267柱(県工教職員5柱、生徒209柱;市工教職員3柱、生徒50柱)
(※被爆当時市立工業高校が併設されていたそうです)
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| 1948 |
昭和23年 |
広島県立広島工業学校を廃止、広島県広島工業高等学校を設置 |
| 1949 |
昭和24年 |
広島県の高等学校再編成により出汐にあった広島県広島有朋高等学校などとともに広島皆実高校に統合、同校工業課程となる。 |
| 1953 |
昭和28年 |
工業課程を分離し広島県広島工業高等学校として独 |
| 1968 |
昭和43年 |
広島県立広島工業高等学校と改称 |
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