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饒津神社入り口に建つ標柱(標縄柱)をそれとなくしか見ていませんでしたが、藝藩祖浅野長晟の父・長政(1547-1611)は慶長16(1611)年に亡くなった。その三百年祭にあたった明治43(1910)年標縄柱を奉納したものだったのです。見るからに古そうで被爆した柱だなと思っていた標柱でしたが、側面をみると、明治四十三年 建立(この時代、建之の文字が多い中)と刻まれていました。
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広島地方の神社には、注連縄を渡す柱(しめばしら=標柱)が設置されていることが多いように思うのです。
2002年におじさんの原爆記の関係資料として饒津神社の頁を編集するのに撮影していたのですが、標柱はよくみていませんでした。今回神社入ってすぐ右側に建立の碑文を見ると「標縄柱銘并序」とありました。
そうか標柱のことを記述した碑であったのかと標縄柱銘并序・碑の頁を編集しながら思ったのです。そのもとの標柱をよく見てみなくてはと今回立ち寄ってみたのです。 |
| 08.03.17裕・編集 |
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08.03.12撮影 |
| 広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社 |
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08.03.12撮影 |

08.03.12撮影 |
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| 標柱 |
しめばしら、注連縄を渡すための柱。 |
| 同進社 |
1880(明治13)年に設立された同進社は旧士族の授産を目的にしていました。 |
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