被爆し現存する鳥居・神社名版石

  中区基町のRCC中国放送南側に戦後移設されている「被爆した鳥居」と「被爆した神社名板石」です。
      廣島護国神社の鳥居と神社名版石碑 爆心地から≒370mのところで被爆しました
いつもはなんとなく見ていましたので、近づき観察してみました。
みると被爆してからお堀の東側に移設されたときでしょうかステンレス製のブラケットで補強されていました。
また、廣島護国神社と刻み込まれた名版石の裏面には1939(昭和14)年当時廣島県知事だった飯沼一省の名前が刻み込まれていました。
※資料をみていると1955年当時はブラケット補強はありませんでした
06.07.17更新   06.07.16裕・記編集

06.02.18.撮影
鳥居の大柱と大貫取合い部分がステンレス製ブラケットで補強されています

06.02.18.撮影
奉獻 昭和九(1934)年十一月吉日

06.03.18.撮影

06.02.18.撮影
昭和十四(1939)年四月    廣島県知事従四位勲三等 飯沼一省 謹書



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
廣島護國神社(概説)
被爆し現存する鳥居
被爆倒壊した鳥居脚部
  (被爆した)鳥居(拡大)、名版石
吉田正浪作:英霊にささぐ・像
丸山幸一作:双鯉の像・昇鯉の像
寶祚無窮矣・碑
ノモンハン事変15周年記念・植樹碑
(番外)廣島護國神社の絵馬





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