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| 2006年1月の交流ウォークのときに参道の石灯籠をみていたのですが、この小さな石碑の文字『紀元二千六百年記念』に目が留まりました、よくみると『東遊廓』という文字も読めました。広島にも遊廓(遊郭)があったことは知っていましたが、売春禁止法が1956(昭和31)年に制定されたときはまだ小学生でしたので詳しいことはわたしにはわかりません。 |
広島城下の遊郭は、材木町にあったが、四代藩主浅野長晟は1625(寛永2)年広島城下町から宮島の東町はずれの新町へ移したそうです(宮島の遊郭は終戦まであったようですが、現在その名残はありません)。
1892(明治25)年に広島市舟入町に西遊郭ができ、日清戦争(1894年7月〜1895年4月)後の好況で 西遊郭に擬して東遊郭が平塚・下柳町・ 薬研堀に跨がって設立され、1933(昭和8)年は東遊郭の地が弥生町になったそうです。
1901(明治34)年発行の「広島案内記」遊郭の項に、東遊郭は下柳町、薬研堀、平塚町の三ケ町にまたがり明治二十八(1895)年戦地より帰還の兵士、人夫、御用商人、軍属の入込むもの多きにより、西遊郭に擬して起こったとあるそうですが・・・・
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| 06.06.05裕編集 |
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04.01.02撮影 |
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| 広島市東区 二葉の里2‐1‐18 参道に建立の紀元二千六百年記念碑 |
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06.01.21撮影 |
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| 紀元2600年=1940(昭和15)年 |
奉納 |
東遊廓 |
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ゆうかく
遊郭;遊廓 |
遊女を抱えた家が多く集まっている地域。くるわ。遊里。いろざと。いろまち。 |
ばいしゅん-ぼうしほう
売春防止法 |
1956(昭和31)年5月24日制定。法律第118号。
売春を防止するための法律。売春の周旋など、売春を助長する行為の処罰、売春を行うおそれのある女性の保護更生などについて規定する。
※鎌倉時代以来公娼制度が存在していましたが、明治政府は1827(明治5)年太政官布告第295号の娼妓解放令により公娼制度を廃止しようと試みたが、実効性に乏しく、1900(明治33)年に公娼制度を認める前提で取り締まりを図ることにし(娼妓取締規則)、1908(明治41)年には非公認の売淫を取り締まることにしている。
第二次世界大戦後の占領下において、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求で、1946(昭和21)年に娼妓取締規則が廃止され、1947(昭和22)年に、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出され前の勅令が廃止され、売春等の処罰について規定してた条例も失効することになった。そして売春を防止するための法律の制定につながりました。
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