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東区二葉の里に鎮座の“広島東照宮”に建立されている「紀元二千六百年記念碑 」です。。 |
2006年1月境内参道の石灯籠をみていたのですが、この小さな石碑の文字『紀元二千六百年記念』に目が留まりました。よくみると『東遊廓』という文字も読めました。 |
広島城下の遊郭は、材木町にありましたが、藩主・浅野長晟(在任:1619-1632 )は、1625(寛永2)年広島城下町から宮島の東町はずれの新町へ移したそうです。(宮島の遊郭は終戦まであったようですが、現在その名残はありません)。
1892(明治25)年に広島市舟入町に西遊郭ができ、日清戦争(1894年7月〜1895年4月)後の好況で 西遊郭に擬して東遊郭が平塚・下柳町・ 薬研堀に跨がって設立され、1933(昭和8)年は東遊郭の地が弥生町になったそうです。 |
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1901(明治34)年発行の「広島案内記」によれば
遊郭の項に、東遊郭は下柳町、薬研堀、平塚町の三ケ町にまたがり1895(明治28)年戦地より帰還の兵士、人夫、御用商人、軍属の入込むもの多きにより、西遊郭に擬して起こったとあるそうです。 |
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広島にも遊廓(遊郭)があったことは知っていましたが、売春禁止法が1956(昭和31)年に制定されたときはまだ小学生でしたので詳しいことはわたしにはわかりません。ここ東照宮に建立の小さな石柱ですが、広島の歴史を垣間見ることができるのではと(わたしは)思いました。 |
06.06.05裕編集 |