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東区二葉の里に鎮座の広島東照宮の「唐門、翼廊の保存修理工事」をこの頁では取り上げました。
*工事の仮囲いに取り付けられていた「二葉の里に桜の並木を復活させる会」掲示板も下段に取り上げました。 |
広島市指定重要有形文化財
東照宮唐門 及び 翼廊保存修理工事 |
工期:平成20(2008)年9月6日〜平成23(2011)年9月30日(予定) |
発注者:広島東照宮、彫刻・彩色技術協力、(財)日光社寺文化保存会 |
設計監理:(財)文化財建造物保存技術協会 |
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昨(2009)年12月31日二葉の里を通った時に東照宮の唐門・翼廊が工事用の白い養生シートで覆われていました。雪がちらつく寒い日でしたが東照宮まで行ってみました。
「広島市指定重要有形文化財 東照宮唐門 及び 翼廊保存修理工事 平成20年9月6日〜平成23年9月30日(予定)」なる工事看板が掲げてありましたので修理工事に入ったことが分かりました。2011年までかかる工事ですので、その内に編集すればいいとのんきに構えていたのですが、2010年も終わりを迎えようとしていますので、今頃になりましたが、編集しました。 |
中國新聞によると『2010年12月2日修理を進めている被爆建物の唐門の棟上げ式があった。 創建当初の極彩色を再現した琵琶板を掲げた唐門前で「曳綱(ひきつな)の儀」を開催。参列者が「えい、えい、えい」と声を掛けながら紅白のひもを引き棟木を上げ、久保田訓章宮司(78)と岡崎隆二棟梁(51)が「永永棟(えいえいとう)」などと唱え、大工が棟木を木づちで打つ「槌打ちの儀」もした。』と報道していました。 |
また、工事仮囲いに、「二葉の里に桜の並木を復活させる会」が作成した掲示板に、昔の東照宮参道の桜の馬場の写真が掲載されていましたので、この頁で取り上げました。 |
10.12.08更新 10.11.15裕・記編集 |
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09.12.31.撮影 |
広島市東区 二葉の里2‐1‐18 (雪がちらついていました) |
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09.11.19.撮影 |
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09.12.31.撮影 |
「二葉の里に桜の並木を復活させる会」が作成した掲示版がありました |
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10.01.12.撮影 |
正面から見上げてみました |
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(からもん)
唐門: |
唐破風(からはふ)形の屋根をもつ門。
正面を唐破風造りとし妻入りのものを向(むこう)唐門といい、平入りのものを平(ひら)唐門という。 |
(よくろう)
翼廊: |
教会堂で、内陣の手前に身廊と十字に交差して設けた廊下の左右に突き出た袖の部分。袖廊(そでろう)。トランセプト。 |
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「二葉の里に桜の並木を復活させる会」掲示板 |
2010年工事仮囲いに、「二葉の里に桜の並木を復活させる会」が作成した掲示板に目が留まったのです。
昔の広島東照宮参道の"桜の馬場”の写真が掲載されていました。 |
関連頁:(二葉の里第二公園)二葉の里桜並木復活記念碑 |
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09.12.31.撮影 |
広島市東区 二葉の里2‐1‐18 (雪がちらついていました) |
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10.01.12.撮影 |
昭和10年代頃の桜並木「桜の馬場 乗馬訓練風景」
広島東照宮より桜並木を望む。参道は真直ぐ南に延びています。東錬兵場にはたくさんの馬が見えます。 |
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大正後期から昭和初期頃の桜並木 「桜の馬場 花見風景」 広島東照宮を下から望む。
女性の中には二百三高地まげ、男性の中には着物姿に帽子、馬場には騎乗中の兵隊もみえます |
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(にひゃくさんこうち)
二百三高地: |
中国遼寧省大連市の旅順にある標高203mの高地。
日露戦争(明治37・8年戦役:1904〜1905)の激戦地。 |
(にひゃくさんこうちまげ)
二百三高地髷: |
戦勝をたたえて明治38(1905)年頃流行した。、赤熊(しゃぐま)を入れてふくらませた髪を高く結い上げ、頭頂を突起させたもの。(当時普及し始めていた洋装に合う髪型として生み出されたそうですが写真の中の女性は着物姿ですね。) |
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