(広島東照宮)原爆六十五周年追憶碑

  原爆六十五周年追憶碑は、広島東照宮久保田訓章宮司が、被爆65年にあたり、『・・・・「歴史はつねに反復する」ことなきよう、詩人・原民喜(1905-1951)のことばをしるし、揮毫を石にきざみ、心のうちに問い来た独白をもって祈りとしたい。』という事で建立されました。
原民喜は、幟町の生家で1945(昭和20)年8月6日被爆し、8月7日夜親族とともに東照宮境内で一夜を過ごしたそうです。

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原爆65周年追憶碑
平成22(2010)年8月6日
広島市長 秋葉忠利書





























コハ
今後

キノビテ
コノ
有様

(原民喜関連碑)(平和記念公園)詩碑 (円光寺)原民喜の墓
  あの日から数日後、旧制中学一年生の農村動員先八本松から、貨物列車で広島駅に着くと、あたり一帯瓦礫の熱気と異臭でくらつく思いであった。
駅前松原通りから東錬兵場に入ると、桜の馬場の旧古川跡に兵士の黒い死骸二体が並んで肉親を待つ。石鳥居の下には救護所があった。
湧水滴る石段下の木陰で、避難者が二十人余り頭を西に横たわり、水を求めた。「海ゆかば・・・」と歌いながら死に行く白いシャツ、もんぺ姿の女学校一年生―。
あれから六十五年のいま、「歴史はつねに反復する」ことなきよう、詩人のことばをしるし、揮毫を石にきざみ、心のうちに問い来た独白をもって祈りとしたい。
日神
慍めたまはず、恨みたまはず、皆平なる心を以て容したまふ。 日本書紀
平成22(2010)年8月6日  広島東照宮 宮司 久保田訓章
(2010年)12月2日修理が進められている唐門の棟上げ式があり、創建当初の極彩色を再現した琵琶板を掲げた唐門前で「曳綱の儀」を開催したと新聞報道で知っていたので、12月31日大晦日みることができるかなと参拝したのです。その時、参道の原爆慰霊碑の根際に新しい石碑がある事に気が付いたのです。それがここで取り上げた「原爆65周年追憶碑」でした。
新聞をそれなりにみているのに今年8月6日にこの碑の建立の記事があったかな〜と思ったのですが(わたしは)記憶にありませんでした。NET検索すると、2010年7月26日朝日新聞の記事が出てきました『被爆体験をもとにした小説「夏の花」で知られる作家原民喜(1905-1951)の文章を刻んだ「原爆六十五周年追憶碑」の除幕式が(7月)25日、広島市東区の広島東照宮の石段下であった。東照宮は原爆投下翌日に原が一夜を明かしたとされ、(除幕式には)約80人が参列した ・・・』とありました、単にわたしがうかつだっただけでした。
碑裏面、久保田宮司の碑文(上記)を読んで(わたしは)その場に佇みしばらく目を閉じていました。
2015年久しぶりにこの原爆65周年追憶碑を撮影しましたので、この頁を更新しました。
15.09.03.更新     11.01.23(碑銘訂正)   11.01.02裕・記編集

10.12.31撮影
広島市東区 二葉の里2‐1‐18  (広島東照宮)

10.12.31撮影

10.12.31撮影

10.12.31撮影

15.08.28.撮影

15.08.28.撮影

15.08.28.撮影

15.08.28.撮影
                         原爆慰霊碑         原爆65周年追憶碑   
敬称は略しています



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