(国泰寺の) 赤穂義士武林唯七祖父治庵之墓
  西区己斐の国泰寺に建立されている「赤穂義士武林唯七祖父治庵之墓」です。
治庵名士大明杭州武林郡人漂流仕長門国称孟二宮後仕芸藩為医官改武林治庵明暦三(1657)丁酉年五月十八日病死実 亜聖孟子六十一世裔也
武林唯七 (たけばやしただしち:1672-1703)
江戸時代の武士。父は渡辺平右衛門。母は北川久兵衛の娘。播磨国赤穂藩士、馬廻、15両3人扶持。赤穂浪士の一人。
文禄・慶長の役で捕らえられ毛利家に仕えた中国人・孟二寛(孟子の後裔)の子孫、
渡辺氏を名乗った。
兄の半右衛門が渡辺家を継ぎ、次男の唯七は新たに武林家を興した。
由来は、祖父孟二寛が現在の中国浙江省杭州武林の出であったからといわれています。
武林唯七祖父治庵之墓を南区の西福寺で見ていましたので、こちら国泰寺にもお墓があったのかと撮影したのです。昭和14(1939)年建立ですので武林唯七祖父治庵供養の墓という意味合いで建立されたのだろうと思いましたが・・・
 08.05.04裕・記編集

08.03.22.撮影
広島市西区己斐3-975-5 国泰寺   追遠塔建設記念碑と赤穂義士武林唯七祖父治庵之墓

08.03.22.撮影
赤穂義士武林唯七祖父治庵之墓 在南湘院 昭和14(1939)年11月 廣島赤穂義士追悼會建之



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