(国泰寺の) 林為龍筆の石標
  西区己斐の国泰寺墓苑前に設置されている林為龍筆の石標「不許葷酒入山門」です。
資料によると「広島の三筆」江戸時代広島藩における著名な能書家、林為龍(じりゅう:?-1778:名は守満)、大谷(そうきょう:1721-1783:貞雄)、吉川禎蔵(?-1798:正延)の3人の称。
1623(元和9)年広島藩主・長晟に招かれ隷書をよくした石川丈山(じょうざん:1583-1672)、時代がやや下って行書などに秀でた服部古硯(こけん:1681-1749)とほぼ同じころ名をあげた上記の3人を云うそうです。
林為龍は家老上田の家臣ですが、はじめ江戸に出て林龍について六朝の王羲之の書風を習いその奥技をきわめました、その筆になるのがこの「不許葷酒入山門」の石標です。
(おうぎし)
王羲之:
(307-365)
中国、東晋(しん)の書家。字は逸少。隷書をよくし、楷・行・草の三体を芸術的な書体に完成、書聖と称され、その書は日本には奈良時代に伝わり、上代様(じょうだいよう;平安時代の和様の書)の成立に大きな影響を与えた。文章もよくし、「蘭亭序」「十七帖」などを著す。子の王献之とともに「二王」と呼ばれる。真跡は伝存しないが、模本や拓本が伝えられる。
(りくちょう)
六朝:
1) 中国で、後漢滅亡後、建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。
三国の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁(りよう)・陳の総称。時期は魏晋南北朝時代に並行する。
2) 六朝時代に行われた書風。
くんしゅさんもんに
  いるをゆるさず

不許葷酒入山門
禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。
清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものがはいることを許されないの意。
葷酒(くんしゅ): ネギ・ニラなど臭気のある野菜と酒
葷菜(くんさい): ネギ・ニラ・ニンニクなどのように、においの強い野菜
葷羶(くんせん): ネギ・ニラなど臭気のある野菜と、生ぐさい肉
お寺の入り口に設置されているこの石碑のことは、資料のを見ていて「広島の三筆」の項を読んでいて、国泰寺には林為龍の手になる石標があるとあったのです、そういえばその石標は撮影していたなと思ったのです。
この石柱を撮影した時石柱は真ん中付近で折れた跡が残り、上部を補修した跡が判りましたので、この石柱は(被爆前のもとの)国泰寺に建っていたのだろうから被爆した石柱だなと思っていたのです、裏に刻まれた年代からも被爆した石標だったことがわかりました。
 08.10.05裕・記編集
   関連頁:(広田神社)林為龍筆の奉納額  (松笠観音寺)林為龍筆の扁額

08.03.22.撮影
広島市西区己斐3-975-5  国泰寺墓苑

08.03.22.撮影
お寺設置の説明板と石標 裏面には2行に文字が刻まれています、「享保九甲辰秋」(1724年)はわかりました



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