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三原市高坂町許山の佛通寺の「仏殿、大方丈」などを取り上げました。 |
佛通寺の資料によると、橋を渡る者は一切の俗塵を捨て去ろことが必要とされ、不心得者が渡ろうとすると、どこからともなく蟒蛇が現れて威嚇したと伝えられているそうですので、わたしが渡るときに表れなかったということは一応不心得者ではないと認められたのかなと。
佛殿は、寛政8(1796)年の火事の後、広島藩主浅野斉賢の外護で文化6(1809)年に再建された建物だそうです。 |
05.03.20裕編集 |
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05.01.14撮影 |
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(仏通寺川に架かる)巨蠎橋(きょもうきょう) |
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05.01.14撮影 |
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山門から法堂をみる |
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境内から山門、巨蠎橋をみる |
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050114撮影 |
仏殿、法堂(はっとう:禅寺で、住持が修行僧に教えを説き、指導にあたる建物)を兼ねています。 |
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05.01.14撮影 |
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050114撮影 |
大方丈 |
ほうじょう 方丈 |
{インドの維摩(ゆいま)=毘舎離(びしやり)城の富豪で、釈迦の弟子となり在家のまま大乗仏教の奥義に達したと伝えられる人物の居室が一丈四方(3m×3m)であったという故事から}寺の住職の居室。 |
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050114撮影 |
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050114撮影 |
050114撮影 |
鐘楼 |
手水舎 |
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