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真光寺・墓石、石仏など
爆心地から≒830m 被爆当時町名:空鞘町でした |
| この辺りはあまり来たことがない地区でしたので、2004年交流ウォークでこの真光寺を訪ねたときに塀に沿って並べられた墓石を見たときただただその多さに呆然と見ていたことを思い出します。資料をみて被爆当時町名が空鞘町で爆心地から830mという近さだったことを知りました。塀に沿って供養されている無縁になった墓石や石仏だけではなく、墓苑の中にも明らかに被爆したとおもわれる墓石も点在しているようでしたが、今(2007年)回は被爆した構築物の頁が編集できる一部だけを撮影させていただきました。 |
| 08.08.18裕・記編集 |
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’07.10.12撮影 |
| 広島市中区十日市町2-1-27 |
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’07.10.12撮影 |
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| 被爆した墓石 大正二(1913)年三月、明治三十五(1902)年十月と読めました |
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’07.10.12撮影 |
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| 石仏 天保十五(1844)甲辰年 |
慶應二(1866)丙寅年
明治維新少し前の石仏でした |
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’07.10.12撮影 |

’07.10.12撮影 |
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