(妙詠寺)近藤芳美歌碑

  南区松川町の妙詠寺に建立されている「近藤芳美歌碑」です。
2008年妙詠寺で拝見し、近藤芳美歌碑と思い編集していたこの頁ですが、歌碑建立の経緯などは(わたしには)わからなかったのです。
2011年になり現在の御住職にその経緯を伺いましたので追記しました。
『近藤芳美は、(妙詠寺)先代住職夫人の「甥」にあたります。その縁で、原爆50周年の記念碑として、1994(平成6)年に揮毫を依頼し建立ました。刻んである歌は、近藤芳美が戦後初めて講演のため広島に来た際、当山の叔母を訪ねた時に詠んだ歌の一つです。』ということだそうです。
資料を見て、被爆した墓石があることを知って訪ねた妙詠寺、門を入ってすぐ目に留まった碑でした。
近づいてみると歌は文字がはっきりとしており、わたしでも短歌は読めました。
最後の名前の部分をみましたが、どう読むのだろうとしばし考えましたがわかりません、草冠に方かな??+美なかと・・・被爆した墓石を撮影した後、最後にもう一度見たのです。以前宇品波止場公園でみた「陸軍桟橋跡記念歌碑」の最後のサインもこうだったかもと思ったのです、(近藤)芳美ではないかと思ってこの頁を編集していました。
2011年になり御住職に伺い近藤芳美歌碑で間違いないことがわかりました。
11.07.26更新   08.10.11裕・紀編集

08.09.26.撮影
広島市南区松川町3-1



































08.09.26.撮影
敬称は略しました
近藤 芳美(こんどう よしみ)  (1913-2006)
歌人。本名:芽美。旧朝鮮慶尚南道・馬山生まれ。(父の郷里)広島市鉄砲町で育つ。広島二中。旧制広島高校在学中、中村憲吉(歌人1889‐1934)に会い「アララギ」入会、土屋文明(歌人1890-1990)、に師事。東京工業大学卒。建築技師。
戦時中、中国戦線に召集された。1947(昭和22)年「新歌人集団」結成に参加、評論「新しき短歌の規定」発表。1948(昭和23)年歌集『早春歌』『埃吹く街』刊行、平和への希求を基底にした歴史意識で一貫した作品を発表。
1968(昭和43)年歌集「黒豹」で迢空賞、1985(昭和60)年「祈念に」で詩歌文学館賞、1990(平成2)年「営為」で現代短歌大賞、1994(平成6)年「希求」で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した。1951(昭和26)年歌誌「未来」創刊、編集発行人。1956(昭和31)年現代歌人協会設立。1996(平成8)年文化功労者。朝日新聞をはじめ、中國新聞の短歌欄の選者も務めた。



「文学碑など」編



広島ぶらり散歩
妙詠寺
(妙詠寺)原爆死歿者供養塔
(境内の)被爆した墓石
(本堂前建立)近藤芳美歌碑
(境内に建立の)林万寿人の墓





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