(妙詠寺)近藤芳美歌碑

  資料を見て、被爆した墓石があることを知って訪ねた妙詠寺、門を入ってすぐ目に留まった碑でした。
近づいてみると歌は文字がはっきりとしており、わたしでも短歌は読めました。最後の名前の部分をみましたが、どう読むのだろうとしばし考えましたがわかりません、草冠に方かな??+美なかと・・・被爆した墓石を撮影した後、最後にもう一度見たのです。以前宇品波止場公園でみた「陸軍桟橋跡記念歌碑」の最後のサインもこうだったかもと思ったのです、(近藤)芳美ではないかと・・・
08.10.11裕・紀編集

’09.09.26撮影
広島市南区松川町3-1



































’09.09.26撮影
近藤 芳美(こんどう よしみ)  (1913-2006)
歌人。旧朝鮮慶尚南道・馬山生まれ。(父の郷里)広島市鉄砲町で育つ。広島二中。旧制広島高校在学中、中村憲吉(歌人1889‐1934)に会い「アララギ」入会、土屋文明(歌人1890-1990)、に師事。東京工業大学卒。建築技師。
戦時中、中国戦線に召集された。1947(昭和22)年「新歌人集団」結成に参加、評論「新しき短歌の規定」発表。1948(昭和23)年歌集『早春歌』『埃吹く街』刊行、平和への希求を基底にした歴史意識で一貫した作品を発表。
1968(昭和43)年歌集「黒豹」で迢空賞、1985(昭和60)年「祈念に」で詩歌文学館賞、1990(平成2)年「営為」で現代短歌大賞、1994(平成6)年「希求」で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した。1951(昭和26)年歌誌「未来」創刊、編集発行人。1956(昭和31)年現代歌人協会設立。1996(平成8)年文化功労者。朝日新聞をはじめ、中國新聞の短歌欄の選者も務めた。



「文学碑など」編



広島ぶらり散歩
妙詠寺
(妙詠寺)原爆死歿者慰霊碑
(境内の)被爆した墓石
(本堂前建立)近藤芳美歌碑






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