(蓮光寺)被爆した山門・観音堂

  安佐南区長束の蓮光寺の「被爆した山門」と「被爆した観音堂」をこの頁では取り上げました。
              被爆建物(A-bombed Building)
     被爆当時の名称 蓮光寺(Renko-ji)  爆心地から4,020m
山門、観音堂は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。
                     広島市
資料によると、蓮光寺には被爆建物として山門、観音堂があり、竣工時期は山門が江戸時代、観音堂は1941(昭和16)年、山門は原爆により瓦が飛び落ちたそうです。
爆心地から4020m  被爆当時町名は安佐郡祇園町
被爆した山門は2008年6月撮影したのですが、観音堂を撮影していませんでしたので10月撮影しました。
観音堂には「忠霊観音堂」と刻まれた銘板石が建っていました。(観音堂の)横にも文字が刻まれていますが薄くなっており読めませんでしたが、建立者か建立年月日が刻まれているのかもしれません。資料によると1941(昭和16)年建立となっていました。1937(昭和12)年日中戦争が勃発し、観音堂建立年・1941(昭和16)年12月真珠湾奇襲攻撃にはじまる太平洋戦争に突入した年です。
2008年訪ね撮影した時は山門根際には広島市が設置した「被爆建物」の標識はありませんでしたが、2012年訪ねた時設置されている事に気が付きましたので、撮影してこの頁を更新しました。
13.03.26更新     09.05.11裕・記編集

08.06.30撮影
広島市安佐南区長束2-1-44   (蓮光寺の鐘楼、被爆した山門)

08.06.30撮影
 (境内側からみました)

12.12.15.撮影
(2012年は山門を中心に見ました)

08.10.04撮影
(蓮光寺の被爆した観音堂)

08.10.04撮影

08.10.04撮影
かんのんどう
観音堂
観世音菩薩をまつってある堂。
かんぜおんぼさつ
観世音菩薩
〔仏〕「観音経(かんのんぎよう)」などで説かれる菩薩。
この名称は鳩摩羅什(くまらじゆう)の旧訳で、玄奘(げんじよう)の新訳では観自在菩薩。
衆生の声を聞き、その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰を集めた。勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍。その住所は補陀落(ふだらく)とされ、日本では那智山であるとする。慈悲の無限なことに応じた多様な姿で説かれる。観音(かんのん)。施無畏者(せむいしや)。円通大士。救世円通。

12.12.15.撮影
山門前に設置されている「被爆建物」の標識



被爆した建物・構築物」編



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蓮光寺
 (被爆した)山門・観音堂
 (境内の)蓮華の松
 (境内建立の)忠魂碑
 (移設された)忠魂碑


「旧(安佐郡)祇園町」編





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