(長束修練院丘上の)キリスト像

  安佐南区長束西の‘イエズス会長束修練院裏の丘’に建立されている「キリスト像」です。
キリスト:
Christo
(ポルトガル語)
ヘブライ語「マーシーアッハ(メシア)」のギリシャ語訳クリストスの転。
元来、油を塗られた者の意で、王に与えられた称号でした。紀元後一世紀には、この世の終末に現れる救世主の意味になる〕イエスの敬称。のちイエスそのものをさす。「基督」とも書く。
イエズス会長束修練院裏の丘に行く道があり、階段があったので長束修練院を上の方から撮影できないかと登ってみたのです。修練院が撮影できる角度はなく、登り切るとこのキリスト像に出会いました。
両手を広げたキリスト像はいまにも声を掛けてこられるのではと思うほどでした。
近づくと
台座には「汝にゆだね奉る」と刻まれた石板がはめ込まれていました。この像の作者がわかるプレート付けられていないかと一回りしましたがわかりませんでした。
ゆく夏を惜しむような蝉の鳴き声を聞きながら、日陰部分の階段に座りあふれた汗を拭き、長束の街を見ながら少しばかり休ませていただきました。
 08.09.26裕・記編集

06.09.16.撮影
広島市安佐南区長束西2-1-36     (イエズス会長束修練院裏の丘)

06.09.16.撮影
汝にゆだね奉る
(なんじ)
汝;爾:
〔「汝(な)」に「貴(むち)」が付いてできた「なむち」の転〕二人称。
多く対等の人、またはそれ以下の人に対して用いられ、中世以降は目下の人や親しい人を呼ぶのに用いられるようになった。現代語では主として文語的な言い回しに用いられる。
汝自身を知れ: 自分が無知であることを自覚し、その自覚に立って真の知を得、正しく行為せよ。
〔アポロンを祀るデルフォイの神殿の入口に掲げられていた語、ソクラテス(前470-前399):ギリシャの哲学者)が行動上の標語としたもの〕
自己を知れ: 平和記念公園・平和の鐘に刻まれたことば、森戸辰男(1888-1984:元広島大学学長)
(たてまつる)
奉る:
1)自分よりも上位の人や神仏に物を差し出すことを、その動作の受け手を敬っていう語。差し上げる。献上する。
(まつる)
奉る:
〔「祭る」と同源〕
1)神や上位者に対して物を届けたり、贈ったりすることの謙譲語で、受け手を敬う。たてまつる。献上する。



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