総社跡
  安芸郡府中町本町に過ってあったという総社、その「総社跡」についてを取り上げました。
「総社」は古代(中〜末期)に国府域に建てられたものです。
これは国司が国内の神社を回って祭りをする代わりに、一ヶ所にまとめて祭りをしていた神社のことで、国司の参拝の便をはかったものとされています。
府中の総社は安芸一国の総社といわれ、応徳(おうとく)年間(1084-1086)の免田帖(めんでんちょう)に「惣社(そうじゃ)」の名が記されているので(『芸藩通志』巻39)、これ以前に建立されたことは確かで、平安時代末頃の建立と思われています。江戸時代には春秋二季の祭りに流鏑馬なども行なわれていました。
しかし、南北氏子の争いもあり、この総社は明治7年(1874年)に多家神社に合祀されました。
総社跡は、現在、児童公園として整備され、総社会館も建てられて往時を偲ぶものは石碑しかありません。
また、府中町教育委員会が説明板を設置していますので、別頁で編集しました。
以前多家神社を訪ねたときにこの総社(北氏子)と松崎八幡宮(南氏子)が多家神社の本家争いをしたことを知っていましたので、松崎八幡宮跡をはじめに訪ねましたので、ここ総社跡も訪ねてみようと思ったのです。とはいえ総社につながる残り香は小さな石碑以外はありませんでした。
 08.11.28裕・記編集

08.10.27撮影
広島県安芸郡府中町本町3-2-23

08.10.27撮影

08.10.27撮影
総社会館と児童公園



「広島の神社仏閣」編



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松崎八幡宮跡
(府中町)総社跡
 総社跡(教育委員会説明板)


「(安芸郡)府中町」編





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