(極楽寺) 力石
  廿日市市市原の極楽寺境内に奉納されている「力石」です。
極楽寺境内で、砲弾形をした石をみましたので近づくと「力石」と刻まれていました。
後ろ側をみると、昭和18(1943)年3月1日と刻まれており、次の行には「廣島荒神分場」3行目に「青果■■組合」■は市場かなとは想像しましたがわたしには読めませんでした。
はじめて訪ねる極楽寺でしたので、いろいろなものを見てみようと思っていたのです。この砲弾形の石を見たとき、広島の衣羽神社でみた「皇太子殿下縣下行啓記念・碑」を思い出し繋がりがあるかなと近づいてみたのです。
近づくと「力石」と刻まれていましたので、お祭の時に力自慢をするための石だったのかと思いましたが、裏側を見ると昭和18(1943)年3月といえば「都市疎開要項」を決定した月で太平洋戦争も敗戦の影が大きくのしかかってくる頃に奉納されたものでした。廿日市観光協会の資料を見ると『春祭りは現在4月第3日曜日に開かれ春の風物詩として、毎年多くの人出で賑わう。』とありましたが、戦前は旧暦の習慣が残り3月1日が春祭りだったのだろうと思いましたが、確かなことは今のわたしにはわかりません。また、以前東京下町・深川の富岡八幡宮でみた「深川力持の碑」を思い出しまし、江戸時代から力自慢というものはあったのだなと思いました。
 09.01.07裕・記編集
   関連頁:(東京・富岡八幡宮の)深川力石

08.11.17撮影
廿日市市市原2180 極楽寺

08.11.17撮影

08.11.17撮影
(表)力石    (裏)昭和十八年三月一日  廣島荒神分場青果■■組合
ちからいし
力石
日本では鍛錬と娯楽として、江戸時代から明治時代まで力石を用いた力試しが盛んに行われた。磐持石 ; 盤持石 ; 晩持石(ばんもちいし)、力試し石(ちからだめしいし)など地方によって様々に呼ばれました。
また、伝説的な人物が投げたといい伝えられる力石も各地にあるそうです。
安佐南区いぼ地蔵は力石の範疇ではないかも知れませんが「武田光和が武田山から投げた石」と伝えられています。



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