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廿日市市市原の極楽寺に建立されている「(極楽寺)平和観音像」です。 |
1983(昭和58)年4月16日建立の平和観音像台座裏側に由来が刻まれていますが全文を判読できませんでした。(だいたいのところは次のようなものでした)
1945(昭和20)年8月日本の敗戦で、朝鮮に残された日本人同胞は孤立無援、極限の状況下で、幼い子供を含め約五万五千人もの犠牲者を出した。人間の手によって引起すおろかな戦争を再び起こさないようにしなければなりません。私たちは真の平和を願い、犠牲となられた人々を追悼し、この地に「平和観音像」を建立しました。碑文は(被爆者でもある)広島県会議員・小島逸雄氏の書です。1981(昭和56)年9月に大原亨衆議院議員を団長とする社会党の訪朝団が現地で慰霊祭を行いました。 |
十三重塔(原爆死者慰靈塔)根際に建立されていました。碑文の全体を読むことができませんでしたが、原爆関連の慰霊碑関連ではありませんが朝鮮での戦争犠牲者を追悼した観音像ということはわかりましたので、平和祈念関連碑に加えるべく頭を垂れ撮影しました。 |
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09.01.05裕・記編集 |
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