さいぞうとうげ
(旧山陽道)才蔵峠 (さいぞうだお)
  東区尾長東の東山町付近にある「才蔵峠」です。
安芸山陽道(旧国道2号線)は岩鼻の南端※を通っていましたが、その昔この付近は海だったので山の中央を横断、ここ矢賀峠(才蔵峠)を通っていました。
広島藩主が福島氏時代、その家臣に可児才蔵がいました、その才蔵の墓所がこの峠近くにあり、そのようなことでこの峠を才蔵峠と云われるようになったそうです。
福島正則の時代、東には岩鼻南端に(西は草津に)大門を設けて関所の役割を持たせましたので才蔵峠はそれ以降西国街道から外れました。
東区区政振興課発行「夢街道・ルネッサンス」では才蔵峠(さいぞうとうげ)と振り仮名をふっています漢字に振り仮名を振ればこうなるのでしょう(漢和辞典で峠を引いてもタオとの読みはありません)が、
現在、山根町にお住まいのM氏は子どもの頃『さいぞうだお』と云われていた(いまでも云っている)そうですので、さいぞうだおと標題も併記しました。
(たお)
撓:
 峠。鞍部(あんぶ=山の尾根のくぼんでいる所)。「タオヲコユル/日葡」
(さいごくかいどう)
西国街道:
近世には京都と長崎を結び、江戸へ続く主要街道で、山陽道の名でも呼ばれています。
17世紀(江戸時代)現在の形にできた西国街道は、当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。これが基になって、今の国道2号になっていますが、この附近では市内中心部を避けて南側にいまの国道ができています。
才蔵寺は撮影していましたが、この二葉の里歴史散歩道の中にも入っている才蔵峠を撮影していませんでしたので、撮影したのですがどうも峠の雰囲気が出ていないな〜と今(2009)年才蔵寺の方から登り、JR矢賀駅に行ってみました。
  09.08.03更新     09.07.22裕・記編集

08.12.19撮影
広島市東区尾長東3、東山町付近(JR矢賀駅から才蔵峠方向をみました) 

08.12.19撮影
案内板 才蔵峠付近で左側にが旧道

’09.07.18.撮影
左側が旧道 (右側車が行っている道は新しい道)

’09.07.18.撮影



「通り・街道」編・全体



広島ぶらり散歩へ
才蔵寺
  可児才蔵の墓
  民話:可児才蔵のみそ合戦
  (境内の)さざれ石
(才蔵寺前の)道標
才蔵峠
  (才蔵峠付近の)旧・山陽道
(岩鼻・才蔵峠分かれ)道標


「牛田・二葉の里附近」編





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