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現在、東区東山町の岩崎病院前に移設保存されている「(尾長町)道標」です。 |
面 |
才蔵寺 経テ 矢賀村役場迄※ 七丁 |
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面 |
廣島縣廳迄 |
一里三丁 |
元安橋廣島里程元標迄 |
■二丁 |
師團司令部迄 |
■■■ |
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※ |
迄は道標ではシンニュウに占という字になっています |
☆ |
大正6年=1917年 |
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面 |
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呉市 中央迄 |
六里十八丁 |
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安藝郡海田市町仝 |
一里二丁 |
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府中村仝 |
廿一丁 |
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温品村仝 |
一里 |
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現在、この道標は才蔵寺(参道に行く道の)前に設置されていますが、1917(大正6)年と面の指差方向をみると現在の尾長2-10の旧国道角辺りにあったのではと思いますが。 |
いままで何度かこの前を通っているのにこの道標に気が付きませんでした。
2009年(岩鼻・才蔵峠分かれ)道標が建立されていることを知り撮影しようと、尾長側から才蔵峠を越えて矢賀に行こうとしましたので才蔵寺前のここも通り、立ち止まって気がついたのです。市設置の才蔵寺説明板の後ろに隠れるように移設設置されていました。 |
この道標から、大正6(1917)年当時現在の府中町が村であったことなどや、広島県庁の旧字を勉強し、現在道路元標と云っていますが以前資料を調べたときに里程と云っていた事を知りましたがこの道標で追認できるなどなどいろいろと勉強できました。古い道標が捨て去られるよりも位置を変えても保存されることの意義は大いにありますが、もともとの位置に設置されることをこの道標は望んでいるのかも知れません(わたしはそう望んでいますが)。 |
2012年道標が建てられていたと思った処(三差路)から府中村、広島県庁方向をみてみました。2014年のいまになりましたが、付近の地図とともに追記し頁を更新しました。 |
14.12.11.更新 09.07.23裕・記編集 |