(才蔵峠附近) 旧山陽道
  東区東山町の才蔵寺のすぐ下にいまもわずかに残っている「旧山陽道」です。
旧國道 才蔵峠   可児才蔵史跡
福島正則(藩主:1600-1619)の時代、東には岩鼻南端に(西は草津に)大門を設けて関所の役割を持たせましたので才蔵峠はそれ以降西国街道から外れました。
(さいごくかいどう)
西国街道:
近世には京都と長崎を結び、江戸へ続く主要街道で、山陽道の名でも呼ばれています。
17世紀(江戸時代)現在の形にできた西国街道は、当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。これが基になって、今の国道2号になっていますが、この附近では市内中心部を避けて遠く南側にいまの国道ができています。
2005年、才蔵寺を撮影しながら、才蔵峠は何処だろうか、旧国道とあるが、現在は幅員が広げられ市道となっているのだろうと思ったのです。
時は、2010年になりましたが再びお参りで立寄った才蔵寺で、ご婦人(ご住職の奥様か)が本堂などの献花を取替えられていました。手を止める事になりましたが、(わたしがよくわかっていない「旧國道 才蔵峠」の史跡碑の事も伺いました。お話では、お寺のすぐ下が昔の街道だったことと教えていただきましたので、降りて行き伺った道を歩いてみました。途中で道は無くなっていました(現在の道路手前で私邸の敷地のようでしたが)。
ほんの短い距離でしたが、竹林がありなんとなく旧山陽道の雰囲気が残っているように(わたしは)思いましたので撮影しこの頁を編集しました。
  09.08.03更新     09.07.22裕・記編集

10.05.27.撮影
広島市東区東山町1-11  (才蔵寺のすぐ下です)

10.05.27.撮影
才蔵寺から旧山陽道だったと云われている処をみました

10.05.27.撮影

10.05.27.撮影

10.05.27.撮影
(ふり返って才蔵寺側をみました。この先は下の画像のように旧道は無くなっています)

10.05.27.撮影
(東側の現在は道路になっている所から旧山陽道が残っている所をみました)



「通り・街道」編・全体



広島ぶらり散歩へ
才蔵寺
  可児才蔵の墓
  民話:可児才蔵のみそ合戦
  伝説:(才蔵由来の)文殊竹
  (境内の)さざれ石
(才蔵寺前の)道標
才蔵峠
  (才蔵峠付近の)旧・山陽道
(岩鼻・才蔵峠分かれ)道標


「牛田・二葉の里附近」編





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送