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| 前衆議院議員串本康三君墓誌 |
| 芸南奥海田の人。文久3(1863)年9月14日生まれ。大志あり民権を主張し帝国議会の開設に力を尽した後、住居を広島に移して、市会、県会議員に当選しました。衆議院議員4回、勲四等に叙せられる、節操松柏の如く、広島県立憲政友会の長老として重きをなそうとするやさき、大正8(1919)年1月21日逝かれました。君の温容をまた視ることができず追慕の余り同志相謀り一碑を建立して功績を不朽に伝えんとするものです。 |
| 昭和2(1927)年3月15日 衆議院議員正四位勲二等 大岡育造 篆額 衆議院議員正五位勲三等
望月圭介 書 |
| 資料をみていると、常夜燈・墓石・五輪塔・石碑などが被爆したものと記述がありました。 |
| 爆心地から≒1800m 被爆当時町名も二葉の里 |
2005年交流ウォークのときに、明星院本堂横に建立されているこの景友碑に気が付いていましたが、撮影していませんでした。今(2008)回カナ交りの碑文を読んでみました。(上記はわたしが理解したものを記しましたので原文のままではありません)。
景友碑の景友を国語辞典を引いても出てきません、『「景」を漢和辞典で引けば(5)したう=慕。あおぐ。景慕。』とあり友を慕うという意味にとれるのかなと思いました。
この碑は昭和2(1927)年建立ですので、被爆した石碑と思いました。 |
| 08.10.13裕・記編集 |