大石内蔵助父子供養墓(移設前)

  聖光寺山門横に“赤穂義士大石内蔵助父子供養墓當山在於”の石碑が設置してあるのです、以前このお寺を一人で訪れたときは何処に供養墓があるのかわからなかったのですが、1月の交流ウォークのときに場所を教えていただき撮影しました。
浅野分家にあたる赤穂藩の関連も市内に点在していることが少しずつですがわかってきました。
「赤穂義士関連」編を編集していますのでそちらも覗いていただければと・・・
06.05.31裕・記編集

’06.01.21.撮影
広島市東区山根町29-1 聖光寺  大石内蔵助父子供養墓

’06.01.21.撮影
大石内藏助良雄

’06.01.21.撮影
忠誠院刃空浄剣居士 (内蔵助の戒名) 元禄十六癸未年二月
おおいしよしお
大石良雄
1659(万治2)年 -1703(元禄16)年2月4日(陰暦)
内蔵助(くらのすけ)は通称
おおいしちから
大石主税
1688(元禄元)年 -1703(元禄16)年2月4日
戒名「刃上樹剣信士」
1701(元禄14)年赤穂浪士討ち入り後、寺坂吉右衛門が仇討成就の知らせを国元の広島藩浅野家に報告し、持ち帰った大石内蔵助父子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出たが科人(とがにん)故浅野家は遠慮し瑞川寺(後に聖光寺と合併)に葬ることになったと伝えられ、お寺(聖光寺)に大石内蔵助父子の供養墓があるそうです。
1701(元禄14)年分家である赤穂藩主・浅野長矩(ながのり、1667-1701)が刃傷事件を起こすに至ったが、広島藩はこの事件への関与を極力避け累が及ばないようにした、
しかし、数年の後、大石内蔵助の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召し抱え救済措置を講じているそうです。



聖光寺
 (現在)大石内蔵助父子供養墓
 (移設前)大石内蔵助父子供養墓
 (境内の)判じ文字(吾唯足知)
 (境内の)盥漱石
 (境内の)梅園介庵翁之碑


広島の神社仏閣一覧
「赤穂義士関連」編・全体


「広島ゆかりの人たちのお墓」編



広島ぶらり散歩へ






SEO [PR] 冠婚葬祭  避暑地 訳あり 無料レンタルサーバー ブログ SEO