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東区山根町の聖光寺に建立されている(移設前の)「大石内蔵助父子・供養墓」です。
※現在は、山門をくぐって左手にで移設整備されています。 |
1701(元禄14)年討ち入りの後、赤穂浪士の中で唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといわれています。
この際、持ち帰った大石内蔵助親子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出ましたが、彼等が罪人であるため、瑞川寺(いまの聖光寺)に葬られることになったそうです。 |
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1701(元禄14)年分家である赤穂藩主・浅野長矩(ながのり:1667-1701)が刃傷事件を起こすに至ったが、広島藩はこの事件への関与を極力避け累が及ばないようにした、しかし、数年の後、大石内蔵助の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召し抱え救済措置を講じているそうです。 |
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聖光寺山門横に“赤穂義士大石内蔵助父子供養墓當山在於”の石碑が設置してあるのです。
以前このお寺を一人で訪れたときは何処に供養墓があるのかわからなかったのですが、1月の交流ウォークのときに場所を教えていただき撮影しました。
浅野分家にあたる赤穂藩の関連も市内に点在していることが少しずつですがわかってきました。 |
06.05.31裕・記編集 |