(本照寺)稲生武太夫の墓

  中区小町の本照寺に建立されている「稲生武太夫の墓」です。
※東区山根町の国前寺にも「稲生武太夫の墓」が建立されています。
稲生武太夫 (いのう ぶだゆう:1735-1803)
江戸時代中期三次藩士。幼名・平太郎。
平太郎16歳のとき、友人と肝試しに真夜中の比熊山へ登ったところ、平太郎の屋敷に旧暦7月三十日間にわたって毎晩のようにお化けが姿を変えて出てき脅かした※が平太郎少しもひるむ事がなかったので、三界の魔王もさすがに降参し木槌を与えたという話で、この話が「稲生物怪録」や「稲生物怪録絵巻」などとして伝えられ、日本の代表的な妖怪物語の一つになっています。
一説によると、相撲取りの権八と武太夫がどっちが肝が太いか、試すべく5月3日比熊山の千畳敷で百物語をし、その夜は何事もなく終わり、5月、6月と過ぎ、7月1日から妖怪現象が始まったという物語がこんにちに伝わっています。
稲生武太夫のお墓のことを、ご住職に説明していただきました。
お話を聴くまで稲生武太夫のお墓の事は知りませんでした、また国前寺にもお墓がある事も知りませんでした。ご住職のお話では、こちらのお墓は稲生家のお墓もあり、稲生武太夫のお墓で間違いはないのですということでした。
 06.11.28.裕・記編集

06.05.11.撮影
広島市中区小町7-24 (本照寺)

06.05.11.撮影

07.05.20.撮影
稲生武太夫の墓 戒名:観光院徳純信士 稲生家之墓誌

06.05.11.撮影
 阪井虎山・稲生武太夫などの説明をご住職に聴く・・・



「広島ゆかりの人たちのお墓」編



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