(光明院)被爆した石燈籠など
  中区白島九軒町の光明院に残されている「被爆した石燈籠」などを取り上げました。
資料をみると光明院に常夜燈などが被爆した構築物として記載がありました。
爆心地より≒1,700m    被爆当時町名は東白島町でした
常夜燈などの「など」にあたるものとして資料の備考欄に手水鉢などとありましたので手水鉢に寄進年代がないかとみたのですがわたしにはわかりませんでしたので確かなことはわかりませんでしたが、常夜燈と記載がある石燈籠には(明治維新前の)慶応2年と読めた文字が刻まれていましたのでこの石燈籠は資料でいう被爆した石燈籠だと思いました。
08.08.24裕・記編集

07.10.23.撮影

07.10.23.撮影
広島市中区白島九軒町23-2
石燈籠竿部分に慶應二丙寅年(1866)と刻まれていました

07.10.23.撮影



被爆した建物・構築物」編


「石燈籠など」編



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光明院
(光明院)被爆樹木・ナツミカン
(光明寺の)被爆した石燈籠





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