(宝勝院の)
被爆した記念碑、墓石など
中区白島九軒町の宝勝院に残る「被爆した寶勝院碑」や「被爆した墓石」などを取り上げました。
(岩尾山興善寺)宝勝院は真言宗のお寺です。
資料
によると宝勝院碑、墓石などが被爆したものとして記載がありました。
爆心地より≒1820m
被爆当時町名も白島九軒町
資料をみて明治時代の神仏分離までは、鎮守社としての碇神社だったことで、墓苑が本堂から少し離れていることの意味が分かりました。宝勝院碑の出だしの文字は薄くなっていてよく分かりませんでしたが藝州の藝かなと思っているのですが。
07.10.05裕・記編集
(被爆した)宝勝院碑
05.11.03.撮影
広島市中区白島九軒町12-4 宝勝院
07.07.18.撮影
碑院勝寳
大
正
四
乙
卯
年
七
月
備
中
稲
田
斌
書
讃
岐
小
田
耕
岳
撰
一
盛
一
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常
法
燈
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長
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十
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文
于
衲
遂
記
銘
曰
業
大
行
信
徒
雲
従
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得
再
興
輪
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為
今
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十
六
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僧
正
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深
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三
十
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五
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正
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吉
田
荘
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正
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太
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利
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城
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廣
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之
廣
島
寳
勝
院
慶
長
三
年
僧
仙
法
印
所
創
元
在
慶長3年=1598年
宝勝院碑、被爆の影響で縦にクラック(ひびわれ)が入っています
大正4年=1915年
被爆した墓石など
07.07.18.撮影
中区白島九軒町12 宝勝院墓苑
07.07.18.撮影
多くの無縁墓などが並べて供養されていました
07.07.18.撮影
延
宝
三
乙
卯
年
九
月
六
日
延宝三年=1675年
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