和船雛形

  (現在)安芸郡海田町畝のふるさと館に展示されている「和船雛形」です。
※もともとは、海田町上市に鎮座の熊野神社の所有物です。
和船雛形は享保2(1717)年に海田市、嶋屋傳右衛門が奉納したもので、全長≒1.8m、和船の古い形式を伝えているそうです。
なお、当時嶋屋が廻船業を営んでいたことは文献からも知られているそうです。
『かいたの文化財』(海田町教育委員会:発行)のパンフレットでいの一番に紹介してあるので、これはぜひ見なくてはと思って熊野神社を訪ね、お参りをしている時に居られた神主の方に拝見したいのですがとお願いしたのです。
現在当社にはなく、海田町の文化財ということで“ふるさと館”で保存展示していると教えていただき、帰宅時にふるさと館に立ち寄って1階展示室で拝見しました(町外の人も無料です)。
船の専門家ではありませんが弁才船の特徴があるのでおそらく弁才船とおもいました。
資料は『かいたの文化財』(海田町教育委員会:発行)のパンフレットを参考にしました  06.02.28裕・記編集
   関連頁:(海田町)ふるさと館

06.02.06.撮影
広島県安芸郡海田町畝2-10-20  ふるさと館

06.02.06.撮影
底は見えましたが、残念ながら展示位置が高く上部は見ることができませんでした
わせん
和船
日本固有の形式の木造船。櫓または帆ですすむ。内航用として発達したため水密甲板がなく、荒天時に浸水しやすいので外洋の航海には不適。
その代表が千石船つまり弁財船。内航用帆船として江戸時代の海運の主力となり、商品流通に活躍した。
せんごくぶね
千石船 
米千石の重量の荷物を積み得る荷船の総称。
しかし、江戸時代の大型荷船が弁財船で占められ、千石積みを大型の基準としたため、いつか積石数に関係なく弁財船の別名となった。大型船は二千石積みに及ぶ。
べざいせん
弁才船 
瀬戸内海地域で発達した江戸時代を代表する和船で18世紀以後は 日本全国で長距離の荷物輸送に活躍した。
 太い船首材・水押(みよし)と欄干(らんかん)状の垣立(かきたつ)、反り上がった船尾、大きい舵などに特徴があり、一本マストに横帆一枚ながら帆走性能・経済性にすぐれ、時代や航海する地方によって多少の違いがあるそうです。
菱垣(ひがき)廻船・樽(たる)廻船・北前船などもすべてこの形式を用いた。べざいぶね。べんざいせん。
かいせん
廻船
国内沿岸の物資輸送に従事する荷船。主に商船。商品流通の活発化に伴い中世後期以来発達し、江戸時代にはいると江戸・大坂の二大中央市場と諸国を結ぶ全国的な航路に就航して経済発展に寄与した。




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