701 |
大宝元年8月 |
大宝律令(律6巻、令11巻。刑部オサカベ親王・藤原不比等らの撰)完成。 |
702 |
大宝2年2月 |
諸国に国師(朝廷から諸国に遣わされ、寺院や僧尼の監督、経典の講説などにあたった)を任ず。 |
737 |
天平9年3月 |
国毎に釈迦仏像・挟侍菩薩を造り、大般若経を写すよう命じる。 |
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天平9年11月 |
畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)・七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)に神社を造らしむ。 |
740 |
天平12年6月 |
国毎に法華経10部を写し、七重の塔を建てるように命じる。 |
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天平12年6月 |
藤原広嗣の乱。10月伊勢行幸。12月山城恭仁宮に移る。 |
741 |
天平13年正月 |
故藤原不比等家の封戸3000戸(50戸×60国)を諸国の施入。 |
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天平13年 |
3月24日国分寺・国分尼寺造立の詔 (類聚三代格では2月24日)。 |
743 |
天平15年10月 |
近江国紫香楽宮(しがらきのみや)にて盧舎那仏金銅像造立の詔を発する。
紫香楽宮近くの甲賀寺にて大仏造立が開始される。 |
744 |
天平16年7月 |
諸国正税国別4万束を割き、利息を僧尼両寺の造営に充てる。 |
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天平16年10月 |
国師に国分寺の検校を命ず。 |
745 |
天平17年 |
恭仁宮、紫香楽宮、難波宮を転々としていた都が5年ぶりに平城京に戻る。
大仏造立も今の東大寺の地であらためて開始される。 |
747 |
天平19年11月 |
(国分寺の)造営進捗せず郡司が協力して3年以内に塔・金堂・僧坊を造り終えれば、子孫の郡領任用を約束する。僧寺100町、尼寺50町。 |
748 |
天平20年8月 |
造営に目途、諸国夏安居に法華経・最勝王経を講じるよう命ず(東大寺要録)。 |
749 |
天平勝宝元年 |
大小国師を任じ、諸国安居に法華経・最勝王経を講じるよう命ず(東大寺要録)。 |
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天平勝宝元年7月 |
諸国金光明寺・法華経の墾田上限をそれぞれ1000町、400町とする。 |
750 |
天平勝宝2年4月 |
安芸国分寺跡出土木簡・墨書土器(安居・斎会) |
752 |
天平勝宝4年4月 |
東大寺盧舎那大仏開眼供養会(魂入れの儀式)が盛大に開催される。 |
756 |
天平勝宝8年6月 |
天平勝宝9年5月の聖武天皇一周忌までに国分寺に仏像・仏殿、塔を造るように命ず。 |