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中区小町の戒善寺にいまも残っている「被爆した墓石など」をこの頁で取り上げました。 |
資料によると地蔵、墓石が被爆したものとして記載がありました。 |
爆心地から≒730m 被爆当時町名は新川場町でした |
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資料をみてこの戒善寺にも被爆した墓石、地蔵尊が記述してありましたので、交流ウォーク・だいこくさん歴史散歩のとき、本堂裏の墓苑に回って撮影させていただきました。 |
07.09.02裕・編集 |
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関連頁:戒善寺 |
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07.05.20.撮影 |
広島市中区小町2-35 昭和44(1969)年9月15日再建された本堂 |
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07.05.20.撮影 |
本堂裏手が墓苑になっています |
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07.05.20.撮影 |
07.05.20.撮影 |
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お墓、石仏 |
徳川綱吉時代の某夫妻のお墓 |
延寶八(1680)年八月廿十日
元禄三(1690)年八月十七日 |
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07.05.20.撮影 |
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石仏の台座に刻まれた
昭和3(1928)年の文字が読めました |
墓苑の石仏、お墓 |
明治16(1883)年
大正3(1914)年2月20日 |
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