(禅林寺の)三宅董庵の墓

  中区小町の禅林寺に建立されている「三宅董庵の墓」です。
種痘ノ碑             昭和50(1975)年11月建立されている碑   
三宅春齢(董庵)先生ハ他藩ニ先ンジテ嘉永二(1849)年広島ニ於イテ安芸広島藩最初ノ種痘ヲ施ス。先生ハ又、大坂ノ 篤学者緒方洪庵先生ト親交サレ、以来種痘ノ泰斗トシテノ春齢先生ノ名声ハ当時全国ニ播揚セリト云フ、茲ニ碑ヲ建立シテ先生ノ功績ヲ顕彰ス   
1798年英国ジェンナー師が「牛痘の原因と効能」という論文を発表しました。天然痘予防に牛痘接種法が有効ということで全世界に広がったそうです。
日本にも和蘭経由長崎に伝わり、佐渡の医師・長野秀穂が長崎留学で種痘術を学び帰郷途中広島に滞在、そのことを知った三宅董庵は秀穂に会い種痘術を学んだそうです。董庵は独自の工夫研究を重ね種痘を試みようとしましたが当時城下では禁令で試すことができず1849(嘉永2)年最初の施術は横川村で行われよい効果をもたらし、それにより城下の禁令も解かれたそうです。
(みやけ しゅんれい)
三宅春齢:
(1814-1859)
江戸後期の医師。芸州藩藩医。董庵(とうあん)
種痘術を学び研究、1849(嘉永2)年広島横川村で牛痘を試み成功。
(おがた こうあん)
緒方 洪庵:
(1810-1863)
備中足守藩士(現・岡山市足守)、医師、蘭学者。1836(天保7)年長崎遊学。
日本最初の病理学書「病学通論」。種痘を広め天然痘の予防に尽力。1858(安政5)年コレラ流行時「虎狼痢治準」治療手引書出版。
(Edward Jenner)
ジェンナー:
(1749-1823)
英国の医師。牛痘にかかった者は痘瘡(天然痘)にかからないことに着目し、種痘法を発明、予防接種の創始者となる。
1796年5月8歳のジェームズ・フィップスに牛痘を接種、少年は牛痘にかかり6週間後、回復した。その後、ジェンナーは少年に天然痘を接種しかし、少年は天然痘にはかからなかった。
1798年英国ジェンナー師が「牛痘の原因と効能」という論文を発表。
2006年5月交流ウォークで訪ねた時、上田宗箇の遺髪塚、三宅董庵先生の墓、茶筅塚などを教えていただきましたが、そういうものがあるのかと漫然と聞き見ただけでした。
今(2008年1月)回撮影に行ってみようと思ったのは、
三宅董庵先生(のお墓)のこと→江戸時代の種痘→当時の墓石であれば→被爆したお墓では?と自分の迂闊さに気がついたからです、拝見するとクラック(ひび割れ)がある墓石で一見被爆したものと推測できるものでした。爆心地から≒980m 
墓石の裏に略歴のようなことが刻まれていましたがわたしには読み下せませんでしたが、横に「種痘の碑」が1975(昭和50)年建立されていました。
08.02.02裕・記編集

’08.01.25.撮影
広島市中区小町9-14    禅林寺

’08.01.25.撮影

’08.01.25.撮影



「広島ゆかりの人たちのお墓」編



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