(三瀧寺境内の)慈眼橋=福壽橋

  三瀧寺はの三滝山の中腹にある高野山真言宗のお寺です。809(大同4)年創建とされ"三滝観音"として古くから親しまれ、境内には水系が異なる「駒ヶ滝」「梵音の滝」「幽明の滝」の三滝があり、その三つの滝から三瀧寺と呼ばれるようになったと聞きます。参道にそれらの水を集めながら流れる川があります、その(三滝)川に架かるのがこの(行くときは)慈眼橋、(帰りには)福寿橋なのです。
三瀧寺発行「安藝之國 三瀧寺観音参詣案内圖」をみると赤縄橋と慈眼橋があります、慈眼橋の呼び方は(清水寺貫主だった)大西良慶師が三瀧寺をお参りされたとき行きは「観音様の慈悲の目で」帰りは「福が集まるように」とひとつの橋に二つの名前を付けられたことからいわれるようになったそうです。
おおにしりょうけい
大西良慶
1875 - 1983
法相宗(ほっそうしゅう)の僧。奈良県出身。号は無隠。
1889(明治22)年興福寺に入り千早定朝師に従い出家。1890(明治23)年法隆寺・佐伯定胤に唯識を学ぶ。1899(明治32)年興福寺231世、1904(明治37)年法相宗の管長。1914(大正3)年清水寺住職(興福寺も兼務)。1965(昭和40)年清水寺を本山とする北法相宗を設立、初代管長に就任。法相宗以外の諸宗にも造詣が深く、仏教界の要職を歴任。1976(昭和51)年1月31日鹿児島県に生まれた福太郎・寿子(ひさこ)・洋平・妙子・智子(さとこ)、日本初の五つ子の名付け親としても有名。
08.01.14裕・記編集

07.12.08撮影
広島市西区三滝山411 三瀧寺

07.12.08撮影
上のほうからみました。 手前側の橋(帰りは)福壽橋、向こう側の橋は赤繩橋

07.12.08撮影

07.12.08撮影
中央部が凸形になった(むくった)橋になっています。 (行きは)慈眼橋

07.12.08撮影

07.12.08撮影
慈眼橋(の文字が刻まれた親柱) 福壽橋
むくり
起り
〔動詞「むくる」の連用形から〕
上方に凸形に曲がっていること。また、その曲線や曲面。



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赤繩橋
慈眼橋=福壽橋





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