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竹原市本町の頼惟清旧宅に建立されている「頼山陽詩碑(吾家昔日読書山・碑」です。 |
頼山陽作
吾が家 昔日 読書の山
紫水 依然たり 窓几の間
愧ずらくは京塵をして 鬚面を染めしむるを
帰来 却對す 舊孱顔 |
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帰
来
却
對
舊
孱
顔 |
愧
使
京
塵
染
鬚
面
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紫
翠
依
然
窓
几
間
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吾
家
昔
日
読
書
山
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甲
申
冬
日
帰
省
作
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頼
山
陽
先
生
の
詩
碑
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このわが家は、昔、読書をしたところだが、その書斎より裏庭をみれば山の色は昔に変わらず、みどり色にはえている。京に出てすっかり都会の塵で心身とも染まってしまい大変恥ずかしいが、こうして帰ってきて山に向かえば昔のままの山の景なり。 文政7(1824)年45歳 |
母・梅シ(バイシ)が2月より上京したので、10月24日、母を広島に送る途中竹原へ立ち寄る。その時の詩である。 |
※ |
「髭」はくちひげ、「鬚」はあごひげ、「髯」はほおひげ、の意で書き分ける |
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以前来たとき、頼山陽詩碑が建立されていることに気がつかなかったので、今回は、裏庭の方に先に行ったのです。
ここ頼惟清旧宅に立ち寄った時に詠んだ詩ということがわかりました。
碑裏面をみれば廣島縣がこの故宅を史蹟に指定したので昭和8(1933)年12月に竹原史談會が建立したと読めましたので、古い石碑ということがわかりました。 |
09.09.25裕・編集 |