2006(平成18)年 「平和への誓い」

  小泉首相、今(2006)年は退任間近ということからか?いつものように声も小さく棒読みの挨拶の言葉からは、平和に徹するという心こもったものとは思えませんでした。
子どもたちが語った「平和への誓い」に大きな拍手があったのがそのことを如実に反映したものだったのでしょう。
06.08.06裕記・編集

06.08.06.裕撮影
こども代表、アンジェリアさんと新谷君
昭和20年(1945)年8月6日、午前8時15分。一瞬にして広島の街は何もかも破壊されました。原子爆弾は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。
 平成17(2005)年11月22日
。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。
 この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。
 「平和」とは一体何でしょうか。
 争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。
 安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。
 今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。
 世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。
 私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。
  私たちは、命を大切にし、精一杯生きることを誓います。
私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架け橋となり、「平和」の扉を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。 
平成18(2006)年8月6日   こども代表
広島市立南観音小学校6年 新谷 望
広島市立楽々園小学校6年 スミス・アンジェリア
平和祈念式典で配付されているパンフレットより転記しました
2005(平成17)年11月22日(安芸区内の)矢野西小1年生・木下あいりさん(7)が殺害されるという悲しい事件が起こりました。11月30日未明ペルー国籍・ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(34)の犯行と断定、逮捕された事件を指しています。
2006(平成18)年7月4日ヤギ被告、広島地裁判決では無期懲役、控訴しています。
2008年12月9日控訴審判決公判が広島高裁で開かれ、楢崎康英裁判長は「一審は審理を尽くさず違法」と述べ、 無期懲役(求刑死刑)とした広島地裁判決を破棄し、審理を同地裁に差し戻しました。
小1年生の女子児童と云っていましたが平成18年6月26日父・健一さんの実名で報道をというのを知りましたので名前をだしています 06.08.06裕記
08.12.27追記



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