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ここ何年もなかった日本国の総理大臣が広島に向けた姿勢をわたしは感じました。
当地の中國新聞には大きな見出しで『首相発言に被爆者失望』と原爆症認定問題で「ゼロ回答」に対し手厳しい見出しになっていましたが。
福田首相は式典参列後、舛添厚労相とともに(通称)原爆資料館を20分という短さではあっても見学し、「十分に見られなかったまたきたい」と発言したそうです。
続いて、(7年ぶりとなる)被爆者7団体の代表者らとの会合「被爆者代表から要望を聞く会」に出席し、原爆症の認定について、「対応の遅さは政府は責められなければならないが、今日の話を伺いこれからどういうふうにするかということは、厚生労働省で大臣を筆頭に具体的に考えてもらう。」と回答。
その後、(8年ぶり首相訪問となる)広島原爆養護ホーム・倉掛のぞみ園を訪れ入園者を前に「式典に参列し、2度と繰り返さない誓いを思い起こした。みなさんの健康を祈っている」と挨拶したそうです。
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(通称)平和記念式典でのあいさつ文は官僚が書いたものを読んだだけでしょうが、小さい声で棒読みだった小泉元首相、上面(うわっつら)だけだったと感じた安倍前首相に比べれば、少しまともになったかなと感じました、あいさつ後の拍手の大きさはわたしが式典に参列しだした2002年からの首相挨拶では一番大きな拍手でした。 |
福田首相は、2002(平成14)年、小泉内閣で官房長官だった時に『核三原則を将来見直す可能性があると発言した事や、理論上は核兵器を保有できる』と発言したことがあることをわたしは忘れていません。
今回広島での記者会見で記者の「米国の核の傘に依存しているのでは?」の質問に、『我が国の周辺には核保有国があり、核の抑止力は現実的に必要なことではないか」との認識を示したそうです。
式典挨拶の中で、洞爺湖サミットで『現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。』と述べていましたが、削減の先は核廃絶へとつながるように提案しましたともう一歩踏み込めないのがいまの日本国政府で福田首相かなとも思うのですが・・・・羅馬への道も一歩から?・・・・「そう急ぎなさんな」という云い回しの福田首相の声が聞こえてくるようではあります。
福田首相の今回の広島訪問を見聞きしていて、わたしは足を引っ張る批判ではなく、いままでの総理大臣よりも、ましな処もあると(評価まではいかなくても)考えています。今後の実際の行動をみなくてはならないということで、今回の編集としました。 |
昨(2008年9月1日)日ラジオを聞いていたら福田首相辞任表明と云うので、NHK・TVの
ニュースをみると少しして辞任会見を中継しました。
辞任会見の最後に中國新聞の記者が「・・・一般的に首相の会見が国民には、ひとごとのように聞こえるのでは?・・・」と質問しました、『・・・・わたしの先を見通すこの目の中には、決して順調ではない可能性がある。その状況で不測の事態に陥ってはいけない。わたしは、自分自身を客観的に見ることができるのです、貴方とは違う!!そういうことをあわせて考えていただきたい。』と答えていました。
背水の陣内閣ということで組閣したはずなのに、なにもしないまま、他人事として、辞めていきました。
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08.09.02追記 08.08.07裕・記編集 |