浦上天主堂遺壁

  長崎市松山町の「原爆落下中心地公園に移築建立されている「浦上天主堂遺壁」です。
爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、1895(明治28)年から建築に着手し、信徒たちの献金と労働奉仕により、1914(大正3)年に献堂式を挙げるにいたった。そして1925(大正14)年に正面の双塔が完成し大小の鐘が吊された。
東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945(昭和20)年8月9日午前11時2分原子爆弾の炸裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この側壁は聖堂の南側の一部で1958(昭和33)年に新しい天主堂建設のためこの地に移築されたものであり、壁上の石像はザベリオと使徒である。しかし、風雨にさらされて傷みが進んだため安全を考慮して現在の形状のまま内部及び表面の補強を行った。長崎市は原爆で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置する。
2001(平成13)年3月年長崎市(原爆資料館)
公園内でみたので撮影しこの頁を編集しました。説明板を読みここへ移築されたことを知りました。 
05.10.29裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市松山町171番地
原爆落下中心地碑と浦上天主堂遺壁
説明板にあった小川 虎彦氏撮影の写真を拡大明るくしました。

05.10.14撮影
1914(大正3)年に天主堂、1925(大正14)年に双塔を完成させ、東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂は、爆心地から北東約500mの位置にあったため、原爆により一瞬にして崩壊した。
この遺壁は聖堂の南側の残骸の一部を1958(昭和33)年に移築したもので、経年劣化がすすんだため平成12(2000)年度に保存整備工事を行ったそうです。



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