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長崎市松山町の“原爆落下中心地公園”に建立されている「被爆50周年記念事業碑(母子像)」です。
※像の作者は、富永直樹です。 |
今日の平和日本の繁栄や平和都市長崎の発展を考えるとき、1945(昭和20)年8月9日11時2分の原子爆弾の直爆にとり亡くなられた方々のうち約7割の方が子供や女性、及び老人の方であったことを永久に忘れてはなりません。
この碑は本市出身の彫刻家・富永直樹(とみながなおき)氏に依頼して制作したもので、原爆の悲惨さと被爆により亡くなられた多くの方々のご冥福を祈り、ひいては、この尊い犠牲が今日の平和の礎となったことを念頭におき、偉大なる母の慈悲心と、永久に平和であれと念じ、あたたかく深く母の胸に眠る傷心の子どもの姿を配することによって、21世紀に羽ばたく、日本の未来を表現しています。今日の平和な日本の礎が築かれたことを、私たちは忘れてはならないという制作者の思いが込められています。
原爆落下中心地地区は、被爆50周年の大きな節目を機に「祈りのゾーン」として世界へ向けて被爆の悲惨さを伝え、被爆者の冥福を祈るとともに、核兵器廃絶と世界恒久平和を祈念する場とするため、平和l公園整備事業として整備を行いました。この碑は「被爆50周年記念事業碑」として、ここに建立したものです。 |
平成9(1997)年7月 長崎市長(伊藤一長) |
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『1996(平成8)年にこの「被爆50周年記念事業碑」(母子像)を原爆落下中心地碑を撤去して、設置しようとし市民の反対にあい原爆落下中心地碑はそのままに、この碑(母子像)が公園の片隅に設置された』ことを伊藤市長の経歴を調べようとした時知りました。 |
伊藤市長は2007年4月18日暴力団員の凶弾に倒れ亡くなりました。 |
07.04.23更新 05.10.29裕・記編集 |