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福山市神辺町大字川南に建てられている「薬上山・光蓮寺」です。 |
薬上山(やくじょうざん)光蓮寺は、浄土真宗本願寺派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
寺伝では、もとは現在地の南、山麓(現:神辺町大字川南の丁から長畑)にあり、「浄源寺」と称する天台宗のお寺でした。その後、浄土真宗へ改宗、さらに一時期真言宗を経て1592(文禄元)年浄土真宗に戻ったと伝えられています。
寛永年間(1624-1643)現在地に移り、寺名を「光蓮寺」に改称しました。元の場所には今も飛び地を有しています。
また、福山初代藩主・水野勝成(1564-1651)により拠点が福山に移されると、神辺城下に付随した建物の残材を譲り受け、庫裏などの建立に使用したと伝えられています。
菅茶山編纂の「福山志料」には、「光蓮寺は了波(りょうは)が寛永年間の頃、今の場所に移す。古くは祐佳山・浄玄寺といい、伝教大師・最澄(天台宗開祖:767-822)の弟子・徳応が開山した天台宗であり、十世・行圓(ぎょうえん)の時に真言宗に改宗。それより九代後の了明の時、存覚(ぞんかく)上人が来て教えを広めたため、存覚を開基とする。了明より現在の浄土真宗となり、了波の時に今の寺名(光蓮寺)に改めた。」と記されています。1807(文化4)年の神辺大火の際には寸前で鎮火し、難を逃れたいわれています。
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2009年乗り放題切符で訪ねた神辺町でした。主目的は頼山陽(1780-1832)が塾頭をしたこともある菅茶山(1748-
1827)が開いた「廉塾」に行ってみることでしたので、JR神辺駅から廉塾の方に行こうとしているときにこの光蓮寺がありました。浄土真宗本願寺派のお寺ということはすぐにわかりました。お寺の由来は、神辺歴史民俗資料館の資料を参照しました。境内に菅茶山の詩碑「十四日與嶺松師・・・」が建立していましたのでこの別頁で編集しました。 |
☆平成18(2006)年3月1日深安郡神辺町は福山市と合併して福山市神辺町となっています。 |
10.06.07裕・記編集 |
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