(楠那・日宇那地区)忠魂碑

  南区楠那町に建立されている「(楠那・日宇那地区)忠魂碑」です。
碑正面に忠魂碑、元帥伯爵東郷平八郎  
側面に
昭和八年四月建之 と刻まれています。
(台座に埋込まれた版をみると、不鮮明になってきていますが)明治十年役病死1名、明治三十三年役戦死など6名のお名前が刻まれていました。
別の場所の版には(碑建立の)世話人17名、櫻田■謹書、石工古田卯一の名前が刻まれていました。
東郷平八郎(とうごうへいはちろう:1847-1934)
海軍軍人。大将・元帥。薩摩国鹿児島加冶屋町生まれ。
1871(明治4)年〜1878(明治11)年英・ポーツマスに官費留学。1904(明治37)年日露戦争の際、連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮、バルチック艦隊を破った。ロンドン軍縮条約では締結に強硬に反対。1907(明治40)年 9月21日伯爵。1934(昭和9)年 5月29日侯爵。
明治10(1877)年西南戦争でこの地から兵を出し病死ではあったようですが亡くなったことがあったのかと知ったのです。(いままで多くの忠魂碑を見たわけではありませんが)、忠魂碑のほとんどが日清戦争、北清事変、日露戦争における碑であったのですが、(西南戦争)明治十年役と刻まれたものをみたのはわたしは初めてでした。
輜重という言葉は、空鞘橋根際に建立の馬碑(輜重兵第五聯隊跡)で知ったのですが、輜重兵特務兵という言葉ははじめて知りました、また石工の前に刻まれている、安佐郡祇園町は町制になったのが1938(昭和13)年と聞きますので、この忠魂碑建立の昭和八(1933)年との整合性が合わないように思ったのですが、東郷平八郎(1847-1934)が、昭和9(1934)年に侯爵になっているので整合性はあっていると思います。
なお、楠那公民館でいただいた「楠那学区の歴史」にはこの忠魂碑は取り上げられていませんでした。
 08.01.10裕・記編集

07.12.01.撮影
広島市南区楠那町9  (忠魂碑と聖上陛下御登極五十年記念林碑)

07.12.01.撮影

07.12.26.撮影
明治十(1877)年役
病死 陸軍上等兵 櫻井増次
明治三十三(1900)年役
戦死 陸軍輜重特務兵 倉田民五郎 
病死 陸軍歩兵一等兵 奥野浪助
戦傷死 陸軍歩兵二等兵 中島光■
・・(ほか四名のお名前)
昭和八(1933)年四月建之
安佐郡祇園町 石工 古田卯一
せいなんのえき
西南の役
1877(明治10)年、西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱。
征韓論により下野した西郷は帰郷して私学校を興したが、その生徒が西郷を擁して挙兵、熊本鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷らの指導者は多く自刃した。明治初年の士族反乱のうち最大で最後のもの。以後の反政府運動の中心は自由民権運動に移る。西南戦争(せいなんせんそう)。
明治三十三年 1900(明治33)年 6月26日北清事変で第五師団に動員令下る
へいか
兵科
軍隊で、兵員をそれぞれの機能によって分けた職種。国によりさまざまな分類がある。
旧陸軍でいえば、歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵・航空兵・憲兵の七兵科に分ける
しちょう
輜重兵特務兵
短期育成の即戦力で、昭和12(1937)年10月に改められるまでは進級のない万年二等兵あつかいだったそうです
1898 明治31年10月1日 安佐郡(高宮・沼田両郡が統合して)祇園村。
1938 昭和13年1月1日 祇園村が町制施行して祇園町になる。



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