(仁保小学校)二宮尊徳先生幼時之像
  南区仁保新町の仁保小学校に建立されている「二宮尊徳先生幼時之像」です。
皇太子殿下御誕生記念トシテ児童訓育ノ爲メ亡夫ノ遺志ニ依リ本市堺町高田ミツ氏之ヲ寄附ス
                   昭和十(1935)年四月二十五日  廣島市長横山金太郎
現・明仁天皇の1933(昭和8)年12月23日誕生の記念
現在(台座の上)の像は(コンクリート製で大きさも台座に比べ小さいと思うのです)戦後建立されたものとわたしは以前別の学校で拝見した時から思っています。戦前は、銅像であったものが、戦時金属供出で無くなったので、戦後再建しようとした時経済的なことからコンクリート製の像になったと思っています。
くんいく
訓育
1) 教え育てること。
2) 豊かな感情と意思をはぐくみ、性格や生活習慣をより望ましいものに育てる教育作用。
金属類回収令
(勅令第835号)
戦時中の1941(昭和16)年8月30日に公布され、昭和16年9月1日より施行、鉄や銅など、銃や砲弾に使う戦略物資の不足を補うため、政府が公布しました。
家庭のなべ・釜や寺院の釣り鐘なども供出されたそうです。
金属類回収令(昭和18年勅令第667号)により、勅令第835号は1943(昭和18)年8月12日をもって全部改正されました。 (この時に各学校の二宮尊徳像が回収されたそうです)
2005年交流ウォークの時宇品小学校で、今も残る二宮金次郎像を見て頁を編集しました。
それから市内の小学校でときどき眼にした二宮金次郎の像です。ここ仁保小学校でも近づいてみると、宇品小学校でみたものと同じく、市内の高田ミツさんが寄贈され、第16代広島市長だった横山金太郎昭和10(1935)年の撰文でしたが、撮影し編集しました。
10.12.23裕・記編集

10.11.06.撮影
           広島市南区仁保新町2-8-30  (仁保小学校)

10.11.06.撮影

10.11.06.撮影

10.11.06.撮影
にのみやそんとく
二宮尊徳
(1787-1856)
江戸後期の農政家。通称、金次郎。相模国の人。
合理的で豊富な農業知識をもって知られ、小田原藩・相馬藩・日光神領などの復興にもあたる。その陰徳・勤倹を説く思想・行動は報徳社運動などを通じて死後も影響を与え、明治以降、国定教科書や唱歌などにも登場。
ほうとくしゃ
報徳社
1843(天保14)年二宮尊徳の指導のもと小田原に設立された農民扶助のための相互融資機関。尊徳の死後も門弟により各地に相次いで設立され、独立自営農民を主体とする結社として明治維新以降も発展、1924(大正13)年大日本報徳社の結成に至った。



「野外彫刻など」編
二宮金次郎の像



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