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廿日市市大野の旧大野町役場前に建立されている「(大野村初代村長)中丸次兵衛翁頌徳碑」です。
※2005(平成17)年11月3日佐伯郡大野町は、廿日市市に編入されて消滅しました。 |
翁は明治12(1879)年大野村議員つヾいて戸長に就任明治22(1889)年市町村制施行にあたり初代村長に選ばれ累積した村債を整理し財政を整え自治の基礎を確立し在任実に二十有余年その一生を村政に捧げられた
中でも山林の荒廃を歎かれ明治23(1890)年山林取締規則を定めて主木の乱伐を禁じ村民を説得万難を排し村有林を造成して村百年の大計を樹立された この事業は後世に継承せられ町の重要な財源となり公共施設災害の復旧新町建設等郷土発展に偉大な貢献をなしつヽある 茲に町制施行十周年にあたり翁の遺業を偲びその徳を頌えてこの碑を建てる 昭和35(1960)年5月1日 大野町 |
(こちょう)
戸長: |
1872(明治5)年大区小区制による地方制度改革で、小区ごとに置かれた役人。従来の庄屋名主から選ばれ、一般行政事務を扱った。1889(明治22)年市町村制施行により町村長と改称。 |
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中丸次兵衛翁頌徳碑の碑文の紹介は、町民ではなかったわたしですので紹介はどうかなと思いました。
しかし、こんにちエコが叫ばれ(山林の荒廃が指摘され)、借金だらけの国、地方自治体の行政改革が叫ばれていることを思う時、まさにこの碑文は大野村にとどまらず今日の日本の問題に通じていることが刻まれているように思いましたので頁を編集しました。 |
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わたしがわからなかった2文字は■してこの頁の編集としていましたが。不明2文字、立木は主木、讃えるは頌えるという間違いも、大野歴史ガイドの会西尾会長より教えていただきました。
また、この碑文は当時の石井正之教育長が書かれたものであることも併せて教えていただきました。 |
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01.02.29更新 10.01.17裕・記編集 |