(己斐中に残る)防空壕跡
  西区己斐中にいまも残る「防空壕跡」です。
第二次世界大戦(太平洋戦争)時、1942(昭和17)年4月18日から米軍の空襲がはじまり、日本各地への空襲が激しくなり、ここ己斐地区でも空襲に備えて山肌(花崗岩層)を利用した「横穴防空壕」が造られたのでしょう。
(ぼうくうごう)
防空壕:
空襲のさいに待避するため、地下に設けた穴・部屋。
an air-raid shelter. 第二次世界大戦当時独空軍の爆撃を受けた英国ロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用したそうです。
 
2006年交流ウォーク下見の時に防空壕跡だろうなと思って撮影していました。
2010年のとき己斐西町でも防空壕跡(複数)をみましたので、ここも防空壕跡で間違いないなかったと思い再度撮影しました。己斐西町の防空壕跡の頁編集が先になりましたが、こちら己斐中の方も編集しました。
防空壕は、負の遺跡であり、近所の子供たちの遊び場になったりしたら危険ということでその姿を消すことになるのでしょうが、この近くをぶらり散歩した時は、残っていれば撮影していこうと思っていましたので2012年にも撮影していました。
2015年被爆70年己斐小学校に建立されている原爆関連慰霊碑を訪ねた時に、この防空壕の横を通りましたので、みるとまだ残されていましたので撮影しました。
15.08.24.更新   11.04.27裕・紀編集

06.10.04.撮影
広島市西区己斐中2-20付近

06.10.04.撮影

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影

12.04.21.撮影

15.05.28.撮影
(2015年通った時もまだ残されていました)



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(己斐西町に遺る)防空壕跡
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