神田神社分社
  東区牛田新町の広島市水道局牛田浄水場内に鎮座している「神田神社分社」です。
神田神社は、1503(文亀3)年当時祇園村武田山にあった銀山城城主の武田光繁が、祖国・甲斐の国から城の守護神として安芸郡牛田村に奉遷したのが始まりと伝わっています。
神田橋というのは神田神社に参拝するために架けられたもので神田山という地名も神田神社に由来していると云われ、氏子は現在の東区牛田本町1丁目〜5丁目、中区白島九軒町の方まで住んでいたそうです。
ところが、明治政府が進めた富国強兵政策により1889(明治22)年神領地は陸軍省の用地となり、神田神社は当時県知事の千田貞暁が埋立てた新開地・宇品へ移転してしまいました。
しかし、古老たちには牛田村のコミュニティーの場であった神田神社を忘れることができず、工兵隊練兵場東側の道路根際に分社を祀り、それまで通りお参りしていたそうです。
戦後、軍用地は牛田浄水場敷地となりましたが神田神社分社は現在に至っています。
この近く牛田旭1丁目に住んでいたのに神田神社分社のことは知りませんでした。交流ウォーク探検隊の時片岡会長が神田神社分社が現在も祀られているといわれ、牛田総合公園側(境界フェンスの外)からこの神社の鳥居はみえたのですが撮影はいまいちでした。そこで今(2009年)回浄水場の方から神田神社分社を撮影しました。社は手入れがなされているようでしたので、今でも地域の人や市水道局の人たちによってお守りされていると思いました。
この神田神社分社の手水舎の手水は、毎年原爆忌で捧げられる献水の水の1箇所(全16箇所)になっています。
09.08.14裕・記編集

09.08.01.撮影
広島市東区牛田新町1-8  (広島市水道局牛田浄水場内)

09.08.01.撮影

09.08.01.撮影

09.08.01.撮影

09.08.01.撮影
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