じざいざかじんじゃ
自在坂神社
  東区牛田新町に鎮座している「自在坂神社」です。
祭神: 品陀和気命、稲生神、宇迦之御魂神
由緒: 往古よりこの地方に鎮座し、猿宮とも称す。昔日は安國寺不動院の守護神として鎮守八幡社と彰せしが、明治3(1870)年自在坂神社と改称され、明治5(1872)年村社に列せられこの地の産土神として現在に至る。
不動院雑記によると覚盛師の時分迄は川向の西原村もこの宮の氏子であったが享保7(1722)年8月15日の祭禮の節大水を渡るさい船が覆り人が多く死んだので西原村も彼の村に八幡社を建立したという。昭和60(1985)年3月祇園新道の建設に伴い、架橋点にあった当神社をこの地に新築のうえ奉遷し、鎮座された。
〔神田神社〕
由緒:
文亀3(1503)年9月19日武田刑部少輔元繁公の祖国甲州より安藝郡牛田村に奉遷し、神田八幡宮と称したが、明治3(1870)年神田神社と改称され、明治5(1872)年村社に列せられた。
明治22(1889年神田附近及社地をも陸軍用地となるため宇品に遷座された。同時旧本殿は軍用地外神田の地に移築奉齊され此の地の産土神として尊崇されたが、氏子の勧請により大正初期牛田村神田の力奉遷し、自在坂神社に合祀した。 
昭和60年3月吉日
広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編を再編集していて不動院の守護神であったと云われているこの自在坂神社を訪ねてみなくてはと思っていたのです。2010年になりましたが不動院境内の方から行けるのかなと思って上る道を探したのですがなくて、境内を出てぐるっと廻り坂道を上って行きお参りしました。
最初に目にした標柱の一方に神田神社と彫り込んでありましたので、どうしてかなと思ったのです。
自在坂神社由緒板には自在坂神社の由緒に続いて、神田神社の由緒も記述してありました。
読むと、昭和初期に神田神社を勧請したいと地域住民が要望し自在坂神社に合祀したと解釈されるようですが、宇品の神田神社、ここと同じ牛田新町の浄水場内にある神田神社(分社)そしてこの自在坂神社に合祀したという神田神社、それぞれの関係はこんがらがっている事だけは(わたしには)わかりましたが、それ以上はわかりません。
10.03.09裕・記編集

10.02.12.撮影
広島市東区牛田新町3-5-20

10.02.12.撮影

10.02.12.撮影

10.02.12.撮影

10.02.12.撮影



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